エスプレッシーヴォ
瑛子のいない土曜の夜は音も香りもない。
ピアノも鳴らなければ歌声も聞こえず、にんにくを焦がす香りもしない。
その夜は、瑛子がいないことに気付いてからも博樹はつとめて冷静に考えた。ちょっと出かけているだけかもしれない。事故などにあっていなければいいがと思いながら、いやでも何かあれば連絡が来るはずだ。
もしかして駅で買い物でもしていればばったり会えるかもしれない、なんてことを思いながら瑛子が好きだと言っていた駅近くのパン屋でバケットを買い、それにあわせてワイン、プロシュート、オリーブ、チーズ、それと少しだけど野菜をとレタスとトマトなどを近くのスーパーで買って帰りを待った。
もう少ししたらいつものように帰ってきて料理を作ってくれるかもしれない。そういう期待もありながら、自分なりにできる準備をする。いつも瑛子がしてくれるようにテーブルクロスを敷いてプレートとグラスを並べ、夜八時を過ぎても現れない彼女を想って、博樹は1人ようやく料理を摘まんでみる。なんて味気ない食事だろうと、向かいの空席、その向こうにある夜の景色を見ながら思った。何もかもろくに口に入らなかった。
連絡のとれない弟と妻。二人でどこかにいる可能性はかなり高いと思った。目的はわからないが、自分の知らないところで何かが動いていたことは予想できた。二人とも馬鹿ではないので近いうちに連絡は取れるだろうとは思う。しかしいくら推理をしても落ち着くことはなく満足に食事もできなければ眠ることもできない。
その1人の夜は長く、気休めに論文を読んだり調べものをしたりしていた。時間を潰すという表現がぴったりだと思った。
いつもなら気にならない無音の世界が落ち着かない。僕はふと瑛子のCDの棚に手を伸ばした。勝手に瑛子のものを漁るなんてことは初めてだった。
世界的有名ピアニストのもの、それからドビュッシーはやっぱりサンソン・フランソワねと見せてくれた歴史を感じる分厚い全集もある。
日本が誇る世界的ピアニストと教えてくれた中村紘子など、そのたくさんのCDは無機質でありながらこの室内を彩る。
博樹も好きに聴いていいのよと言ってくれたが、瑛子が音楽をかけてくれる以外には聴いたことも触れたこともなかった。
そして博樹は目についた一枚のCDを取り出して音楽をかけた。それはブラームスの後期ピアノ作品集だった。
演奏者は知らない。カバーの東欧の美女が真顔でこちらを見ている。その視線は真摯に向き合ってくれているようでもあり、冷たい視線を向けているようでもあり、悩んでいるようにも、アンニュイな微笑みにも見える。
プレイボタンを押すと流れるやさしく奏でられる出だしは、美しくどこか儚い感じがする。
いつかop118-2を瑛子は「ラブレターのようなものに思える」と言っていた。
その解釈がどれほどあてはまるのかはわからないが、もし本当だとしたらこれほど切なさや苦しさを美しく昇華できるなんてブラームスはやはり偉大だと思う。
曲調の高まりとともに感情がこみ上げるのを感じた。
エスプレッシーヴォ、espressivo。表情豊かに、感情をこめて。
僕はもう一度同じ曲をかけなおして、叙情的な旋律が最後まで聴いていられなくて止めて、CDを棚に戻した。
最初にあった場所と同じかどうかよくわからないが、それでも瑛子はきっと許してくれる、と思っていた。今までずっと。
言わなくてもわかってくれるし、ごめんと言えば許してくれるし、一緒にいればわかりあえると思っていた。
自分がこの家で彼女を待ってみて初めて気づく。決してそんなことばかりではないのだと。
彼女から自分へのラブレターのようなものがあるとしたら、それはなんて曲だろう。
いくら問いかけても何もない。たとえ彼女の宝物のピアノやCDに触れても、彼女自身に聞かなければ、彼女の気持ちはわからないのだ。
その夜はやはり寝付けなかった。勝手だ。瑛子がいても夜じゅう話をするわけでも朝まで彼女を抱くわけでもなくいつのまにか寝ているのに、一人になれば時間をもてあまして寝付けない。
スマートフォンを気にかけたものの、瑛子からはもちろん、弟や誰からも連絡はないまま土曜日の夜を過ごした。