夫は正真正銘の鬼です
私の夫は鬼
私の夫である鬼頭 努は容姿がとにかく超ド級に美形である。
本当に妻の贔屓目とかそんな話なしで格好良い。
ご近所さんの間ではちょっとした有名人なのだ。
いや、ご近所さんどころではなく全国的にもちょっとした有名人である。
180cmの身長に不釣り合いなくらいの小顔。
すっきりとした顔立ちは冷たく見えるけれど、たまに笑うと目じりが下がってとても可愛い。
今日も私がアイロンをかけたワイシャツをきちんと着こなして爽やかに振舞っている努の運転する車に乗って私も一緒に出勤中だ。
努は現在、店を営む経営者であり、骨董品や雑貨、全国から集めた美酒を取り扱っている。
鑑定などのテレビに何度か出演した事もある程の目利きである。
努が初めてテレビに出演した際には彼に関する問い合わせで店の電話が1ヶ月以上鳴り止まなかった。
そして取り柄と言えば愛嬌くらいのこれといって特に特徴のない平凡的な私は、異常な程努に執着され彼の秘書兼店員という名目で常に隣に居る事が義務付けられている。
ご近所さん達はなぜこんなに素敵な男性の妻が私なのか不思議がっているようだ。
理由は至ってシンプル。
努は正真正銘の"鬼"であり
私が努の唯一である番だから。
……らしい。
私だって初めからそんな話を信じたわけではないが、どうやら努は本当に鬼のようなので信じざるを得なかったと言う方が正しいのかもしれない。
努の頭には髪に隠れる程度の小さな角が2つあるし、触ると少し柔らかくて暖かいのも知っている。
興奮するとその角が大きく伸び硬く尖っていくのも、
目が紅く染まり、髪は伸びて銀色へと変化するのも、
怒らせたり機嫌を損ねると多大な災害をもたらし多くの人の命を簡単に奪う力を持つことも……
ヤのつく職業とは次元の違う力を持つ彼から逃げるなど到底無理な話であるし、現に私の大切な家族や数少ない友人を人質に取られているので、とうの昔に抵抗する事は諦めている。
努は私が小学生の頃に同じクラスに転校してきた。
自己紹介の段階でませた女の子達は色めき立つ程の美形だったが、何故か私は本能的に恐怖を感じたのだ。
私と目が合うとにっこり笑った努が怖くて怖くて仕方なかったため、直ぐに目を逸らしたがそんな私の態度など気にかける様子もなく一方的に転校初日から付きまとわれファーストキスを奪われた。
初対面の男の子に迫られキスまでされた、当時まだ10歳だった私がどれだけ恐怖を感じたか……
何度思い出してもゾッとする。
抵抗しようとしても何度も何度も口付けられ(幸い手加減してくれたのか唇が触れ合う程度のものだった)彼の頭にある角がどんどん大きくなっていく様を見て気絶した事なんて、その後のあれやこれやを思えば可愛い思い出である。
努は約千年という時を生き続ける鬼。
何を考えているのか不明だが他の人間と同じように歳をとるように姿を偽っている。
普段は人間の様に振舞っているが、努が妖怪である事には変わりない。
店には勿論人間が訪れるが、妖怪も客として訪れる。
私以外の店員も皆妖怪達だ。
私の周りには普通の人間がほぼいないというかなり過酷な生活ではあるが、ここまで来るともう受け入れてこれが当たり前だと思う事にしている。
「御頭様、姐様おはようございます。」
店に着くと猫又の真白さんが迎えてくれた。
正真正銘の化け猫であるが彼も人間に上手く化けている。
「真白さん、おはようございます。」
真白さんの猫姿は白くてふわふわした毛がとても可愛いので休憩時間に触らせて貰うのが密かな楽しみだ。
今日は努と真白さんと私の3人。
私が真白さんと朝の開店準備を始めようとしたところ、努が僅かに殺気を放つ気配を感じた。
「美子、今日は表は真白に任せてお前は奥の整理を頼む。」
努が奥の整理を頼んでくる日は大抵"強い力"を持つ妖怪が客として来る日だ。
彼らは時として良い者にも悪い者にもなる。
彼らが自分を正義だと思った行動であればどんな悪行さえも正義なのだ。
努は自分の配下以外の妖怪には私を会わせようとはしない。
奥に追いやられるのはいつもの事だが、どうやら今日のお客さんは大層強い力の持ち主なのだろう。
先程から努の放っている禍々しい程の殺気。
髪が銀色に染まりつつあるが大丈夫だろうか。
雷雨が続くような事になるのだけは止めたい。
「いいか、絶対にここから出るなよ。」
奥の蔵に連れてこられた後、厳しい声で言い放たれる。
努から直接聞いた事はないが、真白さんを含めた彼の配下である妖怪達から聞いた話によると、私は人間の中でもかなり稀な霊力を持っているらしくその匂いは免疫のない妖怪が嗅ぐと我を失い喰いかかる程の魅惑的な匂いだろうとのことだ。
元々努の配下である妖怪は血で契約している事により私の匂いには一切影響を受けないため、どんな匂いなのかは分からないらしい。
私は正直なところ妖怪に襲われようが喰われようが構わない。努の機嫌が悪くならないならそれでいい。
既に鬼に何度喰われたか知れないような体だ。
現に毎晩努に噛みつかれている左胸の傷が消えた日は1度もない。
現世では努
前世では修一郎
その前は治右衛門
彼は私と共に名前を変えては一緒に歳をとるように過ごし、私が死ぬと山へと姿を消すという。
遡るとキリが無いらしい。
私には今までの記憶はひとつも残っていないが努や周りの妖怪達は私を知っていて当たり前の様に受け入れている。
私は呪われているのだろう。
何度も死に、何度も生まれ変わって、鬼の番として生涯を終える。
霊力が強すぎる為か死んでも魂は数十年から数百年すれば生まれ変わり(早い時は数年で生まれ変わったらしい)、強い霊力でいつも鬼に居場所が見つかり閉じ込められるのだ。
なのでどうせまた生まれ変わるのだから妖怪に喰われて死んでも構わないと思っている。
それでも努に従っているのは私の行動1つで天変地異と称する災害が起こるのが怖いからだ。
私が1度だけ、中級の妖怪に襲われた事がある。
努は直ぐにその妖怪を殺したが、それでも怒りが収まらなかったのか周囲の空は雲で覆われ激しい雷雨が1週間続いた。
川は氾濫して家屋は流され、雷に撃たれた人もいた。
それ以来私は努の側から離れないと決めている。
1人で作業を続けていると、不意に部屋の扉を"コンコン"と2回ノックされた。
努はノックなどしない。
真白さんはいつも4回ノックした後私を呼んで入っても良いか聞いて来る。
2人ではない"誰か"が部屋の前にいるのだろうが、自分ではこの扉を開けられないようだ。
とりあえず無視するに限る。
私はだんまりを決め込み作業を続けた。
が、しばらくノック音が続いた後から爪で扉を研ぐような音へと変化している。
「許さない……許さない…………」
女の声が聞こえてくるが聞いてない事にしよう。
「……酒呑童子様をまた私から奪った………」
……………。
奪ったつもりはないのですが。
努はかつて"酒呑童子"と呼ばれていた時代があるそうだ。
その時代にも私は彼に囚われていたらしいが、全く身に覚えのない事を怨まれても困る。
「…何度も何度も殺してやったのに、また現れるとは、……なんと卑しい女なのか………」
……………女の怨みって怖い。
というより、聞き捨てならない事を言われて私も黙っている程お人好しでは無い。
耐えかねて私が言い返そうとしたところに、今まで聞いた事のない程の冷たく鋭い声が聞こえた。
「おい、お前が何故ここに居る。」
「しゅ、酒呑童子様ぁ~!お会いしとうございました。」
先程とは人が変わったかのような声の違いにうんざりする。
きっと女は努に抱きついているのだろう。
こんな場面に出くわすのは1度や2度なんてものでは無い。
直ぐに女の引き裂くような叫び声が上がり、静かになった。
努に殺されてしまったのだろうか。
まるで自分自身が殺されてしまったかのような妙な気持ちになってしまう。
どうして世の女性(人間、妖怪を問わず)は皆が皆揃いも揃ってあの男に魅了されてしまうのだろうか。
容姿は確かに綺麗だと思うが中身は極悪非道な鬼であるのに。
どれだけ愛しても、愛を求めても、彼から愛される事はないというのに。
勿論私も例外では無い。
努にとって私は番という"利益が得られるモノ"として扱われているに過ぎないからだ。
勘違いできるくらいお花畑な脳内ならどれだけ楽だっただろう。
毎夜毎夜しつこい程に求められ貪られ喰い散らかされる。
昂り、
角が露になり、
紅く濡れた瞳も、
銀色のふわりとした髪も、
人間と偽っている姿とは比べ物にならないほどに美しい男にほぼ千年近く執着されて囚われている。
もう死んでしまった方が楽なんじゃないかと意識を飛ばしたい程の行為を数え切れない程に受け入れてきた。
それが愛なら私だって彼に応えたかった。
でも違うのだ。
「ただの食事だ」と努に言われた時、私は絶望し、彼を信頼していた自分を呪った。
彼が私に執着するのは、私の霊力を"主食"としているから。
一応私は努にとってもいい匂いがするのか"酒より美味しい"らしい。
私の霊力で努は腹を満たせるため手放せないのだろう。
私は吸い寄せられるように静かになった扉へ近づいた。
誘われるように扉へ手を伸ばしてしまう。
1つ溜息を着いて心を鎮める。
ゆっくり扉を開くと上質そうな着物を纏い、長い艶のある黒髪の女性が努の足元で横たわっていた。
倒れて顔が見えなくとも一瞬で美女だと分かる姿が目に入る。
それを見たすぐ後に、努の驚き見開かれた瞳と目が合った。
「…美子っ、動くな…!」
「………?」
努が言ったことを理解する前に私の右足は扉を跨いで部屋を踏み越えてしまっていた。
理解した時には体が凍りついたように動かない。
バランス力を失った体を瞬時に努に抱きとめられたがもう私は息ができる状態では無い。
「……美子っ、美子っ、………」
何度も努が呼びかけてくるが声が出せない。
横たわっていたはずの女がゆっくりと起き上がりながら笑っている。
「……ふふっ、今回は苦しくない様に一瞬で殺してあげたのよ。感謝してね。」
「………何度殺しても美子はまた生まれ変わる。俺がまた必ず見つけ出す。」
「…さぁ?本当にそうかしら?」
「……………。」
「今回この女が生まれ変わるのに何年かかったか酒呑童子様もお分かりでしょう?段々と長くなってきているもの。」
「………………九尾狐、いい加減俺に付きまとうのは止めろと言っているはずだ。」
「私だっていい加減にその女に酒呑童子様の"妖力を分け与える"のはもうお辞めになるように言っているではありませんか。」
「…………………。」
「もうこの女の魂の器も限界なのではなくて?今世も多量の妖力を分け与えていたようですけど、それが仇になりましたわね。私の勝ちですわ。
全盛期の酒呑童子様の妖力はもっともっと素晴らしかった。勿論今の酒呑童子様も十分に素晴らしいですけれども。早く私と目交いましょう?」
「……………。」
「そうすれば酒呑童子様の妖力も、私の妖力も何倍にも満たされると思いますわ。素晴らしい事でしょう?」
「………。」
私の冷たくなった頬に暖かな雫が一粒落ちた。
今までの記憶全てが走馬灯のように駆け巡る。
…………あぁ、私はなんて愚かだったんだろう。
彼が抱きしめてくれている体が暖かい。
彼は何度も何度も苦しいくらいにずっと抱きしめてくれていたのに。
私から彼に触れるといつだって冷たい瞳が嘘のように優しく見つめてくれていたのに。
抱き合う時にあんなに幸せそうに唇を何度も重ねてくれていたのに。
「ただの食事だ」と言った事も、本当は強がった彼の照れ隠しだと分かっていたはずなのに。
いつだって私は大切に守って貰っているにも関わらず、彼との約束を破ってしまう。
今世でもやはり私は変われなかった。
「……美子、またお前を守ってやれなかった。
…何年先でも俺はお前を待っている……。
来世こそは天寿を共に………。」
………私も、また貴方に出会いたい。
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