夫は正真正銘の鬼です
妖怪 猫又からみた夫婦
我らの御頭様はそれはそれは高貴なお方である。
鬼の中でも最強と謳われる鬼だ。
かつては"酒呑童子"という名で呼ばれていた時代があると言えばお分かりいただけるだろうか。
御頭様はいつも我ら妖力の少ない妖怪も丁寧に扱ってくださる。
怪我を負って妖力が減ると分け与えて下さるし、任された仕事をこなすと大変褒めてくださるのだ。
私は猫又で、他の妖怪から襲われ消えそうになっていた所を御頭様に助けて貰ってからお仕えしてかれこれ700年程になる。
毛色が白いことから御頭様から真白という名を与えられ、それからは自分の事は真白と名乗っているし、大切な名である。
そんな御頭様には大層大切になさっている姫がいらっしゃる。
我らはその人間を姐様と呼び慕っている。
姐様は人間とは疑わしい程の強い霊力の持ち主であり、化けることの出来ない低級の妖怪も見ることや触れる事が出来る力を持っているが、妖術などは使えないらしい。
その為、いつも御頭様は姐様を大切に護っていらっしゃる。
最近御頭様は「再び番が生まれ落ちた気配がする」と言って山から降りて人間の世界へ視察されに行ったばかりだ。
今回は前回の姐様が亡くなってから200年程経っていた。
これは今まで姐様が生まれ落ちるまでの期間で最も長かったようである。
なので御頭様は姐様の気配に気付かれた際には、かなり昂ってしまったらしく久しぶりに稀に見る雷雨となったことは目を瞑って欲しい。
私が知っている限りでは、姐様が生まれ落ちるのは確か4回目くらいであろうか。
もっと古い配下の妖怪から聞いた話によると、もう10を超える程に生まれ落ちたらしい。
私も毎回姐様と親しくさせてもらっているが、いつも姐様は私の毛を褒めてくださりながら飽きることなく撫でてくださる。
御頭様も姐様が私の毛並みを気に入ってくださるためかいつも姐様のお側にいることを許されているのだ。
今回の姐様もきっと私の毛並みを気に入ってくださるだろうから今のうちから念入りに手入れを開始したところである。
御頭様に撫でて貰う時も勿論天にも登る気持ちになるが、姐様の手も格別だ。
姐様のとても暖かくて優しい手が私は大好きである。
私以外の妖怪達も姐様が大好きなので微力であるが毎回御頭様のお役に立てるように尽力を尽くしているのだ。
前回の姐様は齢30満たない程で亡くなってしまった。
それでも姐様の天寿としては長い方だったという。
御頭様は姐様が亡くなる度に絶望し、膨大な妖力を抑えきれず巨大な天変地異を起こす。
その度多くの人間の命が奪われるが、御頭様にはそれを抑える術はなく、自らが起こしてしまった災厄にさえも絶望している姿を見てきた。
御頭様は大変女運が悪いようで、いつも厄介な女(人間、妖怪問わず)に気に入られ一方的に執着される可哀想な方である。
どの女も御頭様を手に入れたい一心で姐様を妬み、殺してしまう。
姐様を殺せば自分へ心が向くと、どうしてそのような考えに至るのか私達には皆目理解出来ない。
いつもお優しい御頭様だが、姐様を見つめる瞳は別格だとどうして分からぬのか。
私達はいつでもお2人をお側で見守っている。
御頭様は2人きりになると直ぐに姐様に触れようとし、触れると離さないように何度も唇を寄せあっている。
2人の仲睦まじい姿は私達配下の妖怪にとっても幸せな光景だ。
前回は御頭様の営む店に九尾狐が潜り込んでしまった事で姐様が亡くなってしまった。
冷たくなった姐様を我らの山へと連れ帰り、三日三晩抱きしめ温め続けて妖力を注ぎ続けていた御頭様。
それでも姐様の目が覚めることはなく、姐様のお墓にまた骨が増えた。
人間と同じ供養をしてやりたいという御頭様の想いが詰まったお墓という大きな石にはいつも綺麗な花が飾られており、御頭様は姐様が再び生まれ落ちるまでの間、毎日そのお墓へ参られる。
私達も姐様とお話したい時にはいつでも語りかけて良いと御頭様からお許しを頂いているので参るようにしているのだ。
御頭様が人間の世界へと向かわれてから数年が経っていた。
今回も姐様を見つけて共に歳をとった姿をしている御頭様が営む店のお手伝いに呼ばれた私は急いで人間界へ向かっている。
200年振りの人間界は街並みがかなり変わっていたが、御頭様の隣にいる姐様は変わらず優しい笑顔で私を迎えてくださった。
「猫又の…真白さん…、ですか?初めまして。桜花と申します。よろしくお願いします。」
姐様にぺこりと頭をさげられたため、とんでもないと竦み上がってしまう。
「姐様、またお会いできる日を心待ちにしておりました!私に出来ることはなんなりとお申し付けください。」
「………姐様…?…また…?えっと、もうお会いしていたんでしょうか?私失礼な事を……」
どうやら今回も姐様は全てを忘れており、御頭様は姐様には詳細を話されていないようだ。
鬼という事は既にバレているのではと思うのに、どうして姐様に今までの長い年月を語らないのだろうか?
「…真白、桜花と2人の時であれば猫の姿になって構わない。」
「わーい!御頭様、ありがとうございます。」
どうやら今世の姐様は桜花様という名らしい。
私達が気安く呼ぶことは出来ないが心の中で桜花様、桜花様、と覚えるように唱えながら本来の姿の白猫へ戻る。
「………か、可愛い……っ!」
今世でも姐様に気に入って頂けるよう手入れを念入りにしたかいがあったようだ。
「恒久、ありがとう!私が猫と過ごしたいって言ってたの覚えてくれてたんだね?」
「………毎回飽きる程言われ続けているんだ。忘れたくても忘れらないだけだ。」
そっぽを向いた御頭様の角が少しだけ髪から出てきている。
それを見て姐様も嬉しそうに微笑んでいた。
今世こそはお2人に誰の邪魔も入らず幸せに暮らして欲しい。
御頭様はいくつか前の姐様が2人でお店を営む事を望んでいたと知ってからは、毎回婚姻の儀式の後から店を営むようになった。
今回も今まで取り扱っていた品物や、御頭様が好んで飲まれる美酒が並べられている。
人間にとって古く上質な品物はかなりの価値がある物のようで、御頭様が長らく取り扱って手入れされた美しい品物はかなりの高級品だそうだ。
美しい物を好む御頭様らしい商売である。
私達も美しいと思った品物を見つければ御頭様に報告するようにしているのだ。
今回の姐様もお優しくて暖かくてお側にいるとぽかぽかする。
休憩中にうっかり姐様の膝の上で熟睡してしまったようで、少しだけぴりついた御頭様の気配で目が覚める事は1度や2度ではない。
姐様はもう少し寝てても良かったのに、と言ってくださったが、私は雨が苦手なので御頭様の機嫌を悪くさせるのは本意ではない。
午後の営業が終了し、店を閉めると御頭様と姐様は同じ家へ帰られる。
姐様はきっと他の人間と同じ空間で生活していると思っているのだろうが、お2人が住む世界は、御頭様の拠点となる山の奥深くへと繋がっており、私達配下の妖怪では踏み入れた途端に消滅してしまうほど妖気に満ちている。
御頭様は姐様を本当に大切になさっているのだ。
誰からも奪われないように隠して隠して。
姐様はたまに寂しそうになさっている事もあるが、私達妖怪が御頭様がおっしゃらないお気持ちを容易に口にする訳にもいかない。
私達が姐様にお伝え出来ることは事実のみであるが、姐様は半信半疑といった様子で聞いてくださる。
「……私が恒久の番で、何度も生まれ変わってきているってこと………?」
姐様にはいつも昔の記憶がない。
それがとても心苦しい。
御頭様はいつでも姐様と共に過ごされる時間を大切にされている。
その時間が少しでも長く続くことをいつも願っている。
「御頭様は、姐様をそれはそれは大切になさっているのです。今世こそは少しでも永く、私達も御守りしたいのです。」
「……恒久が、私を………?ふふっ、そうね。いつも囚われて囲まれて……。きっとこれは恒久なりの愛情表現なのよね?」
「そうでございます!そうに違いありません!私は700年傍に仕えておりますが御頭様は御自身よりも姐様を………」
「…おい、何を話している?」
御頭様のぴりついた妖気にビクリと毛を逆立ててしまった。
「2人で恒久が可愛いねって話していたところよ。そうですよね?真白さん?」
「…!!そんな、御頭様を可愛いなど、恐れ多いでございます!」
「……真白、桜花に何を吹き込んだか知らぬが、程々にせねばお前の嫌いな雨が続くことになるだろうな。」
「…ちょっと、恒久っ、真白さんは私と恒久の事を心配してくれていただけで……!」
「この俺を心配…?ふん。笑わせる。くだらない話は止めてさっさと店の準備をしろ。いいな。」
御頭様がピシャりと扉が閉めた後、姐様が再び寂しそうにぽつりと呟かれた。
「…なにもそんな言い方しなくても………。」
どうしたら姐様を慰められるのか分からず、私はオロオロしたまま午後の準備を始めることになってしまった。
姐様は変わらずお客様に笑顔を見せてはいるが元気がない。
「……桜花、奥の蔵へ来い。真白、しばらく任せたぞ。必要な時は呼べ。」
お客様が一旦途切れた頃合に御頭様が姐様を連れて奥の部屋へと入っていく。
これも姐様は知らないのだろうが、奥の蔵へは御頭様と姐様しか入れない空間に分離されている。
姐様がしょんぼりしていると御頭様もきっと悲しいのだ。
2人になってまた仲直りして戻って来る事を願いながら店番をして待っていと、2時間程して御頭様だけ戻ってきた。
「…真白、すまなかったな。交代するから休憩してこい。」
猫又兼雄の私でさえもギョッとしてしまうような色を放つ御頭様に、「まだ私1人で大丈夫ですのでもう少しゆっくりなさっていてください!」と全力で私でも入れる空間にある御頭様の休憩部屋へお戻しする。
………店のお客様が御年配の男性おひとりで良かった…。
これが女性であったならばまた姐様の敵になるかも知れない者を増やしてしまうところである。
ようやく日が沈む頃に姐様が頬を染めながらおずおずと部屋から出てきて、お礼を言われたが、私はお2人が幸せで過ごせる為にお手伝いに来ているのでお礼は必要ないし、この仕事は好きでやっているので構わないのだ。
今日も無事にお2人は過ごせたようで嬉しく思う。
もう少しで姐様が30歳を迎えるので私達一同でお祝いの宴を計画しているところである。
前回よりも永く、姐様が過ごしている事で御頭様も大層嬉しい事であろう。
願わくは今世こそは少しでも永く姐様の天寿を御頭様と共に………。
そして来世でもお2人が幸せに穏やかに暮らせることを、私は願ってやまないのである。