キリンくんはヒーローじゃない
「俺の名前、呼んだ?」
軽やかな足取りでわたしの机に近づいてきた彼は、悪戯が成功した子どものように、得意げに笑った。
「あ、えっ?何で…」
目の前に立つ先輩は、カーテンの隙間から覗く夕日に照らされて、橙色の光に包まれて輝いている。わたしは、驚きと恥ずかしさが同居する、そのよくわからない変な感情に踊らされながら、時間差で椅子から転げ落ちた。
「え、大丈夫?」
「…ご、ごめんなさい!」
床に尻を強打したせいで、素早く立ち上がれない。憧れだった先輩を前にして、こんなみっともない姿ばっかりを晒すなんて、情けなすぎて今すぐ穴に入ってしまいたい。
「いきなり声をかけた俺も悪かったよね。立てる?」
差しだされた先輩の手は、わたしと一歳しか違わないのにゴツゴツとしていて大きくて、これが男のひとなのだと意識する。
「ありがとうございます…」
躊躇することなく、手を重ねる。ぐいっと先輩の力だけで抱き起こされた身体は、不安定なまま、彼の胸板に落ち着く。
「おっと…。ごめんね」
わたしとは比べものにならないくらいの分厚い胸板、逞しい腕。意識すればするほど、彼の顔が見られなくなってくる。震える掌は、ほんのちょっとでも力を加えれば彼を引き離すことはできるのに、しなかった。