キリンくんはヒーローじゃない
友達との歓談を楽しんでいる人波をいくつかくぐり抜けて、マドカちゃんの言っていた、二階の三段目付近に到着した。
「あれ?…いない」
そこには、キリンくんは疎か、誰かが居座る様子は全く見られなかった。最初からわたしを待っている保証なんてなくて、一人でに浮かれて、息を切らせて走ってきたわたしが、ばかみたいだ。
「そんな都合のいいこと、あるはずがないよね」
乱れた息を一度深呼吸をして整えて、何事もなかったかのように階段に足をかけ、降りていく。
「相変わらず、返信はなしか…」
読み込みを繰り返しながら、変わらない画面に気分が落ち込む。電源を切って、こびり付く真白い指の指紋を、服の裾で軽く拭く。
大きな溜息で、強張っていた肩の力がふと抜け、隙間風が身体の芯を冷やしていった。
「え、あれって…」
「あいつらって、あんな関係だったのかよ?」
突如、人の流れが真逆に動き始め、背後が騒がしくなる。所々で悲鳴があがり、動揺しているらしい男子の声も聴こえる。
何が起こったのか、と振り向くと、わたしの目に信じがたい光景が飛び込んできた。
「え…?」
見開いた瞳が、空気によって乾燥し、痛い。支えていた鞄は、掌と一緒に力をなくして、床に叩きつけられた。
「黄林、くん…?」
二階の踊り場、日に透けた金色を柔い風に遊ばせて、お気に入りの黒いヘッドフォンを首に下げた彼の後ろ姿と、上履きの爪先をぐっとあげて、艶やかな腕を遠慮なく首に回す小柄な彼女。
それは、どこの誰が見ても、憧れる映画のワンシーンのようだった。