キリンくんはヒーローじゃない
「狐井、こっちにこいよ」
ペン先をぐるぐると回しながら、軽やかな足取りでD組の元へと戻っていく。
わたしは、助けに入ってくれた江藤先生に心の底から感謝を連ねつつ、胸が温かくなるのを感じた。
「狐井も災難だったよな。矢田部先生は自分以外のことには興味がないから、虐められているお前に気づいても、精々表に広まらないようにと釘を刺されただけだった」
祥子先生はそういうひとだって、わたしもわかってはいた。一度、担任の先生だから親身に相談に乗ってくれるかもしれない、と期待を込めて職員室を訪ねたことがある。その時に、バッサリと言われてしまった。
「わたしは、あなたたち、学生のように暇じゃないんですよ。わたしがあなたの相談に乗ることで、何かメリットがありますか?ただ、無駄に時間を過ごすだけではないですか?そこのところ、よく考えてから来てください」
その時から、わたしはひとに相談することが怖くなった。わたしが話そうとしていることは無駄でしかないんだって、だったら自分がこれ以上傷つかないように、自分の心に蓋をして生きてきた方が楽だって、そう思ってたの。
「俺がお前の担任だったらなあ。ここまで無理はさせないんだが」
そんな塞ぎ込んでいたわたしに、声をかけてくれたのが江藤先生だった。江藤先生は、言葉に詰まりながら自分に起きたできごとを告げるわたしに対して、なにも責めることなく静かに話を聞いてくれていた。
そうして、ぜんぶ喋り終えたあとには、夕方だった窓の外が真っ暗闇に変わってしまっていたけれど、江藤先生は、よく頑張ったなって、ただ優しかった。
「先生は充分、力になってます。ほんとうにありがとうございます…」
江藤先生がいなかったら今頃、わたしは抜け殻のように心も身体も空っぽになっていたと思う。
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」
江藤先生は、キャップの先端をわたしの旋毛にぐりぐりと押しつけると、目を細めて柔らかく微笑んでくれた。