キリンくんはヒーローじゃない
「だから、まずは敬語をやめて対等で話そう?どちらかが無理をするのは美徳じゃないし、そんな関係にはなりたくない」
キリンくんは、「敬語を、やめる…」といった言葉をぶつぶつと反芻しながら、大きく頷いた。
「狐井さん…!」
「おーい、狐井!うちのクラスの奴らがバス一緒になるんだし、お前のことを知りたいんだとよ。こっちにきてくれ」
「…あっ、はい!」
キリンくんは、紡ぎかけた言葉をすんでのところで閉じ込めた。いいところで江藤先生に遮られたため出鼻をくじかれたのだろう、わなわなと身震いする身体を抑えて、唇を噛む。
「えっと、キリンくん…」
先に声をかけてくれたのはキリンくんだ。例え、それが目上の先生という存在でも、彼の意見を聞かずしてこの場を去ってしまうのはよくないことである。
わたしは、気まずい空気を肌で感じながら、目の前で黒いオーラを漂わせているキリンくんに顔を向ける。
キリンくんは僅かに表情を歪めたあと、首を左右に振った。
「べ、別に大した話じゃ、ないから!」
「…でも」
「先生が呼んでるし、D組のひとたちと仲良くなれるチャンスだし、…行ってきて」
彼は、言いたいことを言い終えると、素早く身体を反転させて、わたしに背を向けた。まるで、わたしとはもう話すことがないとでも言うように、ピタリと立ったまま、動かない。
「…そう。じゃあ、行ってくるね」
少し、名残惜しさを感じたが、彼の優しさに感謝をし、江藤先生たちの待つD組の集団に向かって歩く。
「おっ、きたきた。待ってたぞ」
「狐井さん!」
あともう一歩で、江藤先生のもとに辿り着くと確信した時、背後で大きな声がこだました。
わたしを呼ぶ、キリンくんの声だ。いつもの彼とは違う、向かい合った時の彼とも違う、強い想いが込められた声に、内心どきりとした。
「僕っ、これから狐井さんとたくさんの話しができるように頑張るから、よろしくね!」
そんなこと、言われなくてもわかってるってば。わたしは、背中に受ける温かい声音に耳を澄ませながら、近い未来、二人が何の障害もなく語らっている姿を想像して、思わず笑みが溢れた。