キリンくんはヒーローじゃない
一縷の希望


「おはよう、狐井。よく眠れたか?」


七時三十分、学校裏門前。AからDの札を持った各担任が、バスの座席順に並ぶよう声をかけている。わたしは、A組に行こうとした足を止めて、今日は江藤先生のクラスに行くことになったのだと気づいて、そそくさとD組の列に並ぶ。

そうすると、前からこちらを覗き込んでいた江藤先生がニヤリと悪戯に微笑むと、わたしに質問を投げかけてきた。


「…子どもじゃないんですよ。ちゃんと寝ました」

「ふーん、それはよかったな。だってお前、四月半ばの学年遠足なんて目の下に真っ黒な隈つけて参加してたもんな」


江藤先生は、最初から気づいていたのか。驚いて目を丸くするわたしの反応に気を良くしたのか、彼は口を覆って笑い声をあげる。


「ちょっと、」


わたしの顔を見て笑うって、失礼にもほどがある。文句を言ってやろうと勢いよく地面を蹴りあげるが、突如、肩に乗せられたなにかによって、行く手を阻まれた。


「え、」

「…ギ、ギリギリ間に合ってる?」

「…たぶん?」


わたしの肩に置かれたものは、キリンくんの手だった。学校の裏門まで全速力で走ってきたようで、顔や首だけではなく掌にまでじんわりと汗が滲んでいる。


「どうしたの、寝坊した?」

「学校くる途中にトラックに泥を引っかけられちゃって。戻って着替えてたら見事にギリギリで…」


それは、災難だ。そういえば、昨晩は酷い土砂降りの雨だった。泥を引っかけられたというぐらいだから制服と一緒に全身も泥まみれになってしまったのだろう。微妙に半乾きな髪の毛から、シャンプーの匂いがした。


「黄林、1分遅刻だぞ!」

「わっ、…バレてた」


こっそりと、わたしの後ろに隠れていた彼は、知らない間に歩いてきていた江藤先生に摘みだされると、大人しく力を抜いた。


「それに、お前の席は一番後ろだろ。狐井に迷惑かけんな」

「うるさい、わかってるよ!」


唇を尖らせながら、列に並ぶ。反抗的な態度をとりつつも林間学校は楽しみなのだろう、しおりをパラパラと捲り、時折口角をあげている様子が伺えた。

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