キリンくんはヒーローじゃない
一頻り、ガイドさんが周りの風景を紹介し終わると、待ってましたとばかりに、二列目に座る男子がマイクを受け取った。
「みなさん、盛り上がってますか!」
キーン、とマイクが拒否を示してしまうほどの大きな声で場を盛り立てる彼は、誰よりも興奮を抑えきれないようだ。
「喧しくて悪いな、狐井」
「…大丈夫です」
「あいつは、山野辺って言ってクラスのムードメーカー的なやつなんだ。この車内での余興をぜんぶ考えてくれたのもあいつだから、少し喧しくても許してやってくれな」
ムードメーカーだという彼は、その名に最も相応しく、進行を受け持ちながらも、周りを置いていくことは絶対にしない。ガイドさんまで巻き込んで、大歓声を響き渡らせている。
「では、まず…余興に入る前に、急遽D組に入ってくれた狐井さんに自己紹介をしてもらいましょう!」
わたしは、盛り上げに乗じようと天に掲げた片手をさっと下げた。
「え、どういうこと…」
驚く間も与えず、真後ろに座るヤマノベくんは、わたしにマイクを手渡そうとぐいっと前に突きだす。
「ちょっと、…どうすれば」
マイクを渡されたってなにも面白いことは言えないし、D組にお世話になるのは主にバス移動の時だけだし、変に注目を浴びてしまうのは避けたい。
ヤマノベくんは、マイクを渡そうと躍起になってきた。遂には座席の背もたれに転がらせて、わたしが受け取るように仕向けてくる。
彼の作戦通り、手の内におさまったマイクは、所在なさげに揺れる。
「さあ、狐井さん。どうぞ!」
ざわざわと騒がしくなる車内、わたしは益々言葉が奥へと萎んでしまうのを、感じた。もうどうにでもなれ、と目を瞑る合間に見えたのは、わたしの手からマイクを掻っ攫う男のひとの掌だった。