キリンくんはヒーローじゃない
横に座る江藤先生が「校則違反だぞ」と手を伸ばしてこようとするが、それを躱して、ひたすら漫画の魅力を周りのみんなが引き気味になって呆れるまで、語り尽くした。
「ふふっ…」
どこからか、誰かの笑い声が漏れ聴こえてきた。そして、その笑い声を筆頭に、車内全体で爆笑の渦が巻き起こった。
「なにそれー!」
「狐井さん、見た目によらず乙女チックでかわいい!」
信じられなかった。みんながみんな、わたしの好きなものに耳を傾け、腹を抱えて笑っている。夢なんじゃないかって頬を摘んでみても、結果は変わらなかった。握りしめたマイクが、掌に滲む手汗が、これは現実のものなんだってことを、教えてくれている。
「すっげぇな。自己紹介で、漫画の宣伝を突っ込んでくるやつは初めて見たよ。やるじゃねぇか」
「わたし、宣伝なんてそんなつもりは全然なくて。自分のことをみんなに話す勇気がなかったからってだけで…」
先生のように自慢のできる家族がいるわけでもなければ、ヤマノベくんのように自信を持って発表できる特技があるわけでもなかった。
苦し紛れにでたのが、ずっと自分を支えてくれていた漫画の存在だっただけで、ほんとうはマイクを持った瞬間に逃げてしまいたかった。
「それでも、投げださなかっただろ。ほぼほぼ初対面だったこいつらを前にして、よく頑張ったな。偉かったぞ」
あの時、逃げ出さなくてよかった。震えた手で、放り投げようとしたマイクを再び抱え直したのは、他の誰でもない自分自身だ。この選択は、間違っていなかったって思える。初めて、自分という存在に自信が持てた。