キリンくんはヒーローじゃない
「きっつー!これで植物も観察しろとかただの鬼でしょ、祥子のやつ」
まだ登り始めて数分だが、普段、歩き慣れていない道のためか、息があがってきた。サジマの言う通り、登るのに精一杯で植物を見ている暇さえない。
「どっか近道ないのかな、楽しくもない坂を登るのって苦痛しかないんだけど」
ポケットに忍ばせていた携帯を取りだし、現在地をマップ情報で表示させると、登頂までの最短ルートを探し始めた。
先生のいないところで、本性を現すこのひとのことを、わたしはどうも好きになれなかった。付き合いきれそうにもなくて、一人で着実に前へと進んでいく。
「待って。一人じゃ何かあった時に危ないじゃん。一緒に行こうよ」
ツキ先輩は、すぐさまわたしに追いつくと、ペースを合わせて並走してくれる。
日誌を手伝ってくれたあの日から、わたしの毎日は目まぐるしく変わり始めている。憧れで、遠くから眺めることしかできなかったはずなのに、今は隣に彼の姿がある。
「…どうしたの?」
彼の、茶色がかった虹彩の中に、わたしが映る。夢みたいな現実に思わず、自分の頬をつねるが、加減をしなかったせいで指を離した瞬間に一気に痛みだした。
「…何でもないです」
夢じゃない、現実なんだ。そう自覚すればするほど、なんだか胸の中がいっぱいいっぱいになって、彼の顔を見ることも言葉を発することもできなくなってしまった。
「ね、狐井さん」
黙りこくって俯くわたしの顔を、ゆるりと腰を屈めて覗き込む彼は、優しく笑う。
「登山が終わったら飯盒炊飯だけど、どこのチームでやるの?」
「…えっと」
登山と同じくクラスごとで行うのか、それとも好きなひとと組んでもいいのか。それによって変わってくるけど、もしクラスごとだとしたら、サジマと組むことは決定的だろう。