キリンくんはヒーローじゃない
なんだか不思議な感覚だ。心地よい浮遊感と先ほど感じた寒気が嘘のように、全身が温かく穏やかだ。
瞼を擦って、霞んだ視界に力を込めると、眼前に見目麗しい男性が映りこんできた。
「…わわっ!」
驚いて、思わず飛び退いてしまうわたしの肩を必死に掴む。強く掴まれた腕を変に意識しながら、自分の置かれている状況を理解しようとして、今まさにお姫さま抱っこをされていることに気づく。
「よかった、目が覚めたみたいだね」
お姫さま抱っこをされているという事実が信じられない上に、恥ずかしくて、彼の話に耳を傾けられない。
わたしの反応に心配してか、ぐいぐいと先ほどよりも距離を詰めてきて、近くで様子を伺ってくる。
これ以上近づかないように、両手で押し止めることで精一杯で、未だに彼の存在を認めることができない。
「どこも怪我してない?」
「や、あの…」
「痛いところとかもない?」
いや、ほんとうにやめてほしい。過剰に優しくされるとどう反応したらいいか困ってしまうし、第一慣れていない。
「崖から落ちた時はどうしようかと思ったけど、無事でよかった」
あれ、どうしてこのひと、わたしが崖から落ちてきたことを知っているんだろう。押し止めていた両手から、自ずと力が抜けていく。はらりと役目を失った両手の隙間に見えた顔は、わたしのよく知る人物のものだった。
「宿屋まであともう少しの辛抱だから、一緒に頑張ろうね、小梅ちゃん」
そこにはアイドル宛らの輝く笑顔を振り撒いて、ナチュラルにわたしの名前を呼んでくれる、斎藤月先輩の姿があった。
身を呈して助けてくれようとするなんて、こんなの期待するなってほうが無理なんじゃないかな。自分の赤くなった頰を隠すように、先輩の胸元に顔を埋めた。