キリンくんはヒーローじゃない
江藤先生の運転する車に揺られること、数十分。鉄筋コンクリートでできている宿舎に到着した。
車の鍵を閉めて、時間の確認をした江藤先生いわく、他のみんなは飯盒炊爨で作ったカレーを食べている頃らしい。それならばと、風邪を引かないうちに風呂に浸かってこいとのお達しで、一足先に大浴場へお邪魔することになった。
一つ壁を隔てた向こう側に、キリンくんとツキ先輩がいると思うと、無駄に緊張する。
全身を洗うスピードを心なしかいつもより早くして、身も心も湯の中に沈めてしまいたいと、温泉の縁に手をかける。
「…狐井さん、いる?」
慎重に足の先から身体を沈めていくと、隣の天井で控えめな声がこだました。
「…いるよ」
わたしの返答に少し焦ったのか、恐らく温泉の中にいるであろうキリンくんが、バシャンと大きな音を立てては、湯を溢れ返させている。
「呼んだのは黄林くんなのに、慌てすぎじゃない?」
「…だ、だって、返ってくると思わなかったし」
「きっと人数が少ない分、よく響くようになってるんだね。わたしの名前が自然に耳に届いたから、つい、返事をしてみたくなっちゃった」
流れ続けていたシャワーが止まり、湯に身体を沈めた時のような音が、辺りに響いた。顔を見なくてもわかる、ツキ先輩だ。一つ壁の向こうで同じ温泉に浸かってるなんて、嘘みたい。
「小梅ちゃん」
「…はいっ」
頭に乗せていたタオルを目に当て、精神統一をしていると、急に、色めいた声でわたしの名前が呼ばれた。
「あとで、擦りむいた足とか、打ちつけた腰とか見せてね。手当てするから」
湯上がりの火照った状態で、わたしと先輩は会うのか。手当てをするためだという立派な理由はあれど、年頃の男女だ。余計なことを考えてしまう。
「…お願いします」
ああ、浸かったばかりなのに、今すぐにでも逆上せてしまいそう。