キリンくんはヒーローじゃない
溢れた水は、元通りには戻せない
文化祭の準備が順調に進み、小道具の製作にも駆りだされることが多くなってきた、十月下旬。
シンデレラが履くガラスの靴を仕上げてほしいと頼まれ、マドカちゃんと一緒にシンプルなヒールの上から、ホログラムシートを貼っていく。
「文化祭、楽しみだねぇ」
秋の温かい日差しに当てられながら、大欠伸を漏らして、マドカちゃんが言う。
「そうだね。時間が過ぎるのが早くて気づかなかったけど、本番まであと二週間くらいだもんね」
目指すは、十一月第二週目の土日。演劇で参加をするのは、一年A組とD組、二年C組に、三年生全クラスと壁は高い。だが、最下級生だからって手加減はしたくない。いいものを作って、最高のシンデレラを披露してやるつもりだ。
「そういえば、聞いた?」
「なにが?」
「あんなに劇にでるのを渋ってたはずの黄林くんが、狼役で出演するって話」
勢いよく立ちあがったせいで、製作途中だったガラスの靴が、床に落ちる。
頭がついていかない。劇には絶対にでないって、集団行動は苦手だって、息巻いてたくせに。
「知らなかった…」
「…だろうね。そんなに驚いた狐井さん、初めてみたもん」
マドカちゃんがまあまあと、わたしの肩を叩いて宥めてくれる。力の抜けた身体は重力を失って、椅子の上におさまった。
「確か、体育館で各クラス三十分ずつ、本番練習するって言ってたよね?…あ、朱夏ちゃんからメッセージがきた。今、D組の番らしいよ」
送られてきたメッセージと共に、動画も添付されている。マドカちゃんに促され、再生ボタンをタッチすると、女子の甲高い歓声が辺りに響き渡った。
「大人気だねぇ」
「…うん」
画面の端にキリンくんが映る。ジャージのチャックを一番上まで引っ張り、難しい顔をして台本を読み込んでいる。