キリンくんはヒーローじゃない
「それ以上、狐井さんを責めないでくれる?」
台本を手に、練習を抜けだしてきたキリンくんは、わたしとサジマの空間に入り込み、確かな声で告げる。
「…別に責めてないよ。あたしは思ったことを言ってるだけ。月くんと付き合ってる狐井は、無理して背伸びしててどこか辛そうなんだ」
「…そんなことない」
「黄林だって、わかってんでしょ。自分のほうが狐井のことを幸せにできるって。なんで、奪おうとしないの」
キリンくんとサジマの言い合いは、当人であるわたしを置いていき、繰り広げられていく。
「奪うって…、そんなの誰も求めてないだろ」
「求めてないなんて、どの口が言えるの?一番あんたが、狐井のことを求めているくせに」
キリンくんはわたしの顔を捉えると、仄かに頬を赤く染めて、そっぽを向く。
「認めちゃいなよ。狐井のことが好き、」
「うるさいな!僕と狐井さんはただの友達同士なんだ、他人に口だしされる権利はない。…このままでいいから、どうか放っておいてほしい」
そう。わたしとキリンくんは友達同士で、なんとなく空気の調和が合って、そばにいると安心するだけで、特別な意味なんて、ないんだ。
たまに鳴り響く胸のドキドキも、声をかけられると温かくなる感情も、全ては気のせいで、コントロールの不具合から起きた誤作動なんだ。
「…せっかくだから、教えといてあげる」
サジマは頭を押さえて、それから、下唇を強く噛んだ。
「狐井さんにとって僕は、村人A。つまり、どこにでもいる凡人ってわけ」
ああ、出会って間もないすぐの頃、か弱い性格と、野暮ったい見た目から、勝手にそう名付けてたっけ。
「それに比べて斎藤さんは、彼女の理想の王子さま像にぴったりで、…自分を守ってくれたヒーローに、誠心誠意尽くしたいと思ってる」
そうなんだ。ツキ先輩はわたしにとって一番の理想で憧れで、大好きなひとだった。キリンくんの説明は、間違ってない。わかりやすいし、見事に百発百中だ。
「そんなヒーローとヒロインの間に、知りもしないサブキャラが入り込むなんて、ご法度でしょ。物語がおかしくなっちゃう」