キリンくんはヒーローじゃない
希望の光は、脆く儚い
文化祭本番当日。燦々と照りつける太陽が、今日の成功を祈ってくれているようで、なんだか心強い。
わたしは、カーディガンの袖を雑に捲りあげて、校舎をひた走る。向かった先の一年D組では、既にキリンくんを応援する女子生徒の姿で、教室が溢れ返っていた。
圧倒的なキリンくん人気に、舌を巻く。劇が始まる前に一言だけ、頑張れって伝えたかったんだけど、無理そうだ。
とぼとぼと、教室をあとにして立ち去ろうとすると、誰かがわたしの腕を躊躇なく引っ張って、引き寄せてきた。
訳もわからずに、そのひとの胸板に落とされて、思わず息を吐く。
彼は、人差し指を唇に当て、「しーっ」と静かにすることを暗に示した。
「狐井さん、…どうしたの」
キリンくんが、小声でわたしに話しかけてくる。女子生徒たちは、未だキリンくんの行方を探し続けている。
「ちょっと、伝えたいことがあって」
「伝えたいこと…?」
彼に倣って、小声で答える。変に緊張する手を強く握った。
「頑張ってね、って伝えたかったの。わたしも黄林くんに追いつけるように努力するから…」
「…うん。大丈夫、狐井さんのこと、ちゃんと見てる」
キリンくんの瞳がゆっくりと細められて、しわくちゃになる。とても、優しい笑顔だった。
「わざわざそれを言うためだけに、会いにきてくれてありがとう。…めちゃくちゃ調子でた」
キリンくんは、わたしの小指に嵌められた指輪にそっと触れると、大きく頷いた。
「狐井さんの目に、僕しか映らないくらいの演技をしてみせるから、絶対に…観にきて」
キリンくんとわたしと、そこだけ空気が固まったかのように身動きがとれない。傾きかけている心は、二つ分の重りに耐えられず、零れ落ちてしまいそうだ。
「…うん。期待してるね」
指先で光る指輪だけが、わたしの心の中を静かに見つめていた。