キリンくんはヒーローじゃない
三階まで駆けあがって、ふと、A組の教室を目だけで覗いた時、見知った顔がチョークを手に取って、黒板になにかを書いている様子が見えた。
「月先輩…」
なにしているんですか、の言葉は、すぐに続けられなかった。かわいらしい短めのメイド服に、学校指定のジャージを羽織って、チョークを握った彼の目の前には、信じられないような文字が綴ってあったからだ。
『劇を台なしにしたのは、キツイコウメです。みんなと協力するのがばかばかしくて、やりました。』
信じられなかった。夢じゃないかと疑った。わたしを守ってくれたツキ先輩がそんなことをするはずがない。
「…あーあ、バレちゃった」
ツキ先輩は、白のチョークを置くと、わたしの目の前で両手をパンパンと叩いて、チョークの粉を落とした。
思わず噎せてしまうわたしを見て、先輩は、満足そうに笑ってみせた。
「俺がほんとうに君のことを好きになると思ってた?」
「あ、の…」
「そんなことあるはずないだろ。お前に近づいたのは、俺の目的のため。ほんとうは、触れるのさえ嫌だったんだ」
衝撃的な事実に、頭の整理が追いついていかない。ツキ先輩は、わたしのことなんか、実は好きでもなんでもなくて、目的のためだけに近づいたんだって、どういうことなんだろう。
「まず、俺は、ショーコ先生のことが好きだ」
「えっ、…」
「ショーコ先生は俺の一年の時の担任だった。ばか真面目で、授業がクソつまんなくて、でも、俺の名前を呼ぶ時は薄く笑ってくれて。それが、すごく綺麗だったんだ」
教壇の上に置いてある一年A組の名簿を指でなぞりながら、小さく零す。
「そんなショーコ先生が、ある生徒の対応に困ってる、どうしたらいいかわからないって思い詰めてたから、…直接あんたに接触を図ったんだ」
わたしが祥子先生になにかをした?むしろ、わたしの困っている時に、手を払いのけたのは、そっちなのに。