キリンくんはヒーローじゃない


「狐井さん、開けていい?」


キリンくんがでていってから、ちょうど一時間ほど。カーテン越しに、控えめな彼の声が聴こえた。


「…いいよ」


遠慮がちに開け放たれたカーテンから、狼の耳をつけっぱなしにしたままのキリンくんが、顔を覗かせる。


「え、狼の耳、かわいいね!」

「…触る?」

「いいの?」

「…別に、狐井さんならいいよ」


前のめりに頭を下げて、わたしの手が自然に届きやすいように、調整してくれる。


「…どう?」


赤茶色の耳つきカチューシャは、ふわふわとした手触りで、一度触るともっと触れたくなるほどの心地よさを持っていた。


「すごい気持ちいい毛並みだね」

「…好き?」

「好き!」


してやったりな、含み笑いを浮かべつつ、上目遣いでわたしの顔を見つめる。好きって気づいてしまったあとだからか、変に意識する。彼の純粋さは、時にわたしの心に針を刺す。


「周りと必要以上に関わるのは、神経使うし、気張って疲れるんだけど、…ちょっとぐらいはいいのかも、って思えてきたよ」


キリンくんは懐に携えていた台本を開くと、わたしに見せてくれる。


「これ、僕の演技を観てくれたひとたちが、気になるところを書いてくれるんだけど…」


ぱらりぱらりと迷いなく捲って、目的のページに辿り着くと、赤字で書かれたそれを指で強調した。


「もっと腹から声だせ。お前の前世は子猫かって。…狐井さんに言われた言葉と少しだけ似てて、本番前に観ると、元気がでるんだ」


それってもしかして、子犬みたいだってからかった、あの日のことを言ってる?

わたしのなにげなく告げた言葉に意味づけをして、一人でに幸せを噛みしめる彼のことが、どうしようもなく愛おしくて、かわいい。

< 99 / 116 >

この作品をシェア

pagetop