海の底にある夢【完】
「……誰だ?」
ふと、顔に影が差し、声が頭上から降ってきた。
見上げると、ブレストによく似た容姿の男が一人、顔を覗き込んでいる。
いや、恐らくこの人だろう。
ディレスト・オルガノという王子は。
そう察したものの、今のエアは休憩モードだ。
相手にしたくない、と思いガクンと頭を下ろした。
「……髪を染めているのか。俺と同じ染料…おまえ、エア・スミスか」
「あなたはディレスト・オルガノ様ですよね」
「知っていて無視か」
「休憩中なんです」
「なるほど。邪魔して悪かったな」
と、すんなりといなくなったディレストに対し、え、と驚きながら彼を目で追った。
無視か、とは言われたものの、気分を害していないようだし、逆に謝られた。
普通に考えればエアの態度は無礼極まりなく、王子としての態度も皆無。
そんなディレストの背中は迷うことなく馬小屋の中に消えて行った。
(こんなところに何の用が…)
気になってしばらく馬小屋の入り口を見つめていると、やがて黒い馬に乗ったディレストが現れた。
乗馬を楽しむ軽装の彼ははたから見たら普通の青年だが、馬の動きに乗せて揺れる金髪が神々しい。
パッカパッカと響く足音が軽快なリズムを刻み、馬も彼も楽しそうだった。
「にゃあ」
彼に気を取られて気づかなかったが、いつの間にか白猫が近くにいた。
一声鳴くとトコトコと歩いてくる。
座って崩しているエアの足を右から左に跨いだが、結局落ち着いたのは彼女の背中側だった。
背中にぴったりと寄り添って眠りにつこうとしている猫の姿は体が硬くて見えないが、仕方ない、と諦め、再び乗馬している彼の方を見ると、犬が一匹走りに加わっていた。
茶色の大きな犬が必死に彼らを追いかけている。
このメルヘンチックな光景はなんだろう、と思いながら、彼女は意味もなくまた空を見上げた。
(あ、アイスクリーム)
ぷかぷかと空に浮かぶ雲がアイスクリームに見えた。
しかしそれは一瞬で、次には羊に変わり、最後はよくわからない形になった。
「何を見ているんだ?」
ふと、隣に人が座る音がし、声もかけられた。
見ればタオルで顔を拭くディレストが目に映る。
「……雲を眺めていました」
猫は彼の気配を察知したのか、すでにいなくなっていた。
犬ももう見当たらず、幻覚でも見たのだろうか、と思ってしまった。
「ちょっと貸せ。疲れた」
「え、あ、いきなり…!」
また空に目線を戻したとき、言葉と共に膝にずしりとした重みを感じた。
慌てて見れば、顔にタオルを巻きつけたディレストが自分の膝を枕代わりにして寝転がっているではないか。