海の底にある夢【完】
「おい眼鏡」
「……なんでしょうか」
書斎に戻って来るなり、眼鏡、とディレストに呼ばれたキリアスは嫌な予感がした。
眼鏡と呼ぶときは決まって機嫌が悪いときだ。
「エア・スミスについて報告漏れがあるだろう。理由を聞こう」
(…気づかれたか)
キリアスは観念し、椅子から立ち上がった。
「あなたの集中の妨げになると考えたからです」
「それだけか? 個人的な事情はないよな?」
「なぜそう思うのですか」
「そこらへんにいた騎士を捕まえて聞いたが、おまえ、ちょいちょい彼女と会っているようだな」
「雇用主として進捗を聞いているだけです」
「それが噂になっているぞ。婚約者だのなんだのと」
(なんだとは、なんだ?)
眼鏡のブリッジを指で押し上げながらキリアスは内心焦った。
婚約者以外となると、あれか。
セフレか。
(…俺は馬鹿か)
そんなことあってたまるか。
「そのような事実はありません。配置換えの前に一騒動ありましたのでその後何事もないか聞いているだけです」
「ネズミの死体だろう。女はどこまでもアホだな。今はブレストのところにいるんだろ? あそこもクセの強いところだが平気なのか」
「ええ。むしろ好意的に彼女を受け入れているようです」
「そうか。報告は以上か?…んなわけないよなあ?」
ビキッと彼の額に青筋が見えた気がした。
「さっき本人に会った。瞳の色を指摘すれば返ってきたのは『元は違う色だ』という答えだ。ふざけてんのか眼鏡。ちょっと面貸せ、表出ろ」
(げっ…)
立った数分前の自分をキリアスは叱りたかった。
右腕を力任せに引っ張られ、あれよあれよと連れて来られた練習場。
ちょうど騎士たちが訓練中で、なんだなんだとギャラリーがわんさかと二人を囲む。
「訓練の邪魔して悪いが、ここを貸してほしい。この眼鏡と話があるんだ」
「わかりました。おーいおまえらー。メニュー変更してランニングにするぞー」
それを聞いた教官は快く承諾し、部下たちに走るよう命じた。
教官が走り出すと皆一斉について行き、土埃の舞う練習場に残されたのはディレストとキリアスだけだった。
そして騎士たちが放置した木刀をディレストが二本掴み上げると、その一本をキリアスに渡した。
「さてクソ眼鏡。全部その頭ん中から吐き出してもらおうか」
(腹じゃないのか?!)
これは相当怒っているな、とキリアスは絶望的になり、一週間前の自分を叱りたい気分になっていた。
(…俺は彼女を守りたかったんだろう)
そう、守りたかった。
彼ではなく、自分が独占したいと思うようになった。
(彼の我儘に残りの寿命を捧げることになるなら、いっそ、俺が…)
溜まりに溜まった有給休暇を消費して、一年間彼女をいろんなところに連れ出そうと思った。
その手続きもコツコツと進めているというのに、ここで全てを吐き出さなければならないのか?
「…俺にも言いたくないことがある」
「ほう、口答えか」
「口答えじゃない。俺の主張だ…!」
そう叫びながら、持ち直した木刀を構えてキリアスはディレストに向かって行った。