海の底にある夢【完】
「あいつも色気づいたものだな」
「日頃のお礼だそうです」
「まだ配属されて日が浅いのにか?」
「はい。それは私も申し上げたのですが、貰ってくれると嬉しい、の一点張りで…」
「あいつもおまえ狙いか」
「はい…?」
「もういいわかった。今日こそクソ眼鏡から聞き出してやる!」
と、ディレストは膝の上にいたエアを一度ひょいと抱きかかえて立ち上がると、そっと地面に降ろした。
立った彼女は彼の瞳に見える決意の炎を見て取ると、なんだかおかしさを覚えた。
何をそんなにムキになっているのだろうか、と。
「何だニヤニヤして。俺たちは真剣なんだぞ」
と、言いながら髪飾りを彼女に返したディレスト。
そのまま立ち去るかと思いきや、しばらくエアの顔を眺めた後、その柔らかな頬にそっと指の関節を近づけ軽く撫でた。
その感覚に驚いたエアは目を見開き半歩後ずさる。
まるで触れられたところから電撃が走ったようだった。
「髪、食いそうになっていた」
「…ありがとう、ございます」
「あとおまえ、髪切れ。邪魔だ」
「で、でもあの、肌を隠すために必要だってキリアス様が…」
「エア」
急に真顔に戻って名前を呼んだ彼は、静かな眼差しで彼女を見つめた。
「俺がもっとおまえの表情をよく見たいだけだ。じゃあな」
と、また一方的に別れを告げた彼の遠くなる背中を見つめると、今度は手の中にある髪飾りに視線を落とした。
(……なに、今の)
彼の言葉を何度も反芻してはうんうんと唸り、葛藤する。
(目立つ肌を守るためには髪が必要。でもそれが周囲を不安にさせているのだろうか)
地味だと言われた。
陰鬱だとも言われた。
何を考えているのかわからないとも言われた。
(でもさっき、ニヤニヤしてるって…)
そう言えば先ほど真逆のことを言われたことに気が付いた。
キリアスは過保護なまでに気にかけてくる。
ディレストは真っすぐな感情で意見をくれる。
二人から感じる優しさは違う気がする、と思った。
(私が私であることを、ディール様は望んでいる)
キリアスに何を言われるかわかったものではないが、とりあえず思いの向くままやってみようと思った。
残りの人生でできることは限られているが、これまでとは違う環境で現在は暮らしている。
それなら第二の人生として、新しいスタートを切るのもいいのではないだろうか。
「二人に怒られそう、かも」
ふふ、と小さく笑ってからエアは食堂に向かった。
そのときの笑顔はまるで花が咲いたようだった、と木の上で二人のやり取りを終始見ていた白猫は、後に犬と馬にそう語った。