海の底にある夢【完】
それからディレストによる個人指導は続き、外での立ち回りも教えるため王城の近くにある時計塔の視察に王子二人で赴くことになった。
老朽化で改築工事を行うことになり、その見納めとして見学するのだ。
一時間ほどで済む用事だった。
ディレストは髪を黒く染め、ブレストは茶色に染めることにした。
二人にキリアスも加わり、カモフラージュとしてエアも同行することになった。
ご令嬢のエアと、付き人二人、馬車の運転手一人、という設定だ。
騎士たちは街のいたるところに点々とし、軽装でその馬車を見守る。
「私でよろしかったのでしょうか…」
ガタゴトと揺れる車内でエアが小声で呟いた。
短くなった髪に真っ白な大きな帽子、薄紫のワンピース、赤いヒールという恰好で座る彼女。
その向かい側に座る兄弟。
「大丈夫だよ。一時間で終わるし」
「馬車に慣れてくれると助かる」
「ああ、はい…」
(そうではなくて…)
エアが危惧しているのはそういうことではない。
ただの侍女がなぜ同行しているのか、という周囲の目が気になるからだ。
普通なら本当のご令嬢…つまりは彼らの婚約者が同席するのが望ましい。
しかし、女性の影は二人から一切しない。
王子ともなればすでに婚約者がいても不思議ではないというのに。
「あの…お二人は婚約者様はいらっしゃらないのですか?」
「え?…いないけど」
「私は誹謗中傷を受けても構いませんが、お二人は私とは違います。私を同行させたとなると後で文句を言われるのではありませんか?」
「全く…変に気を遣うな。そうならないようにしただろ」
「えっと、髪の色、でしょうか」
「そうだな、髪の色だ」
と、ディレストが頷いたところで馬車が止まった。
どうやら時計塔に着いたらしい。
馬車のドアが外に開き、キリアスが顔を覗かせた。
「着きました」
「ああ。今降りる」
ディレストとキリアスは未だに少しぎくしゃくしているが、それでも一時よりはだいぶマシになった方だった。
キリアスが一方的にディレストから遠ざかっていたが、今は以前の関係に戻りつつある。
「エア」
弟が降り、兄が降りようとしたとき彼は彼女の名前を呼んで手を差し伸べてきた。
その意味がわからずエアがきょとんとしていると、ふいに後頭部に手を添えられた。
「おまえ、忘れたのか? 今の髪の色、白じゃないか」
「あ…」
「今のおまえが誰なのか、きっと他はわからない。俺たち以外はな」
行くぞ、と後頭部に添えた手を移動させエアの手を掴むとディレストが優しくエスコートした。
カツカツとヒールを鳴らしながら彼とともに馬車を降りる。
すると、目の前に大きな時計塔が見え口を開けて空を見上げた。
帽子を手で抑えながらエアが見つめる先には、今まで見たことないほど大きな円盤の時計があった。