海の底にある夢【完】
実はエアは一度、派手に落馬してしまったのだ。
医者に見せたところ、いたって健康で異常なし。
強いて言えば乗馬をするには筋力が足りないことを注意された。
骨が折れても不思議ではない落ち方だったにも関わらず、筋肉もないのに無傷とはもう奇跡でしかない、と医者は言っていた。
(再生した、ということか)
それを聞いたディレストが真っ先に思い浮かんだのはそのことだった。
死なない、という定義がよくわからないが、背骨を折れば死ぬことがあるだろうし、脳内出血をすればそれも死に繋がる。
しかし紙で擦り傷を作ったことがあったため、どの程度の損傷なら問題がないのかの基準が未だに判明していなかった。
(もし、限界まで苦しんだ後に助かるということなら…)
そんな状況は作りたくない、とディレストは心底思った。
本人は落馬したときのことをやはりよく覚えておらず、苦しんだかどうか不明だったが、その方が断然いい。
(俺が必ず守る)
全ての危険から守り切ってみせる、と落馬したエアをベッドの上で抱きしめたときに心にそう誓った。
「ディール様、あれはなんでしょう?」
「あれか? 屋台だ。観光地では珍しくない光景だ」
二人がいる大通りには複数の屋台が立ち並んでいた。
食べ物の香りがエアの食欲を刺激してくる。
「そういえばお腹がすきました」
「もう夕刻だしな。何か買って帰るか」
「宿に持ち込んでもよいのですか?」
「ああ。今日は素泊まりで夕飯はつかないからちょうどよかった」
「ではあそこにある…」
グイグイと腕を引っ張って来るエア。
そんな彼女を目を細めて見つめるディレスト。
二人はどこからどう見てもカップルそのものだった。
「新婚旅行ですか? いいですねー」
「え、いや…」
リップサービスのつもりか知らないが、行く先々の屋台で、対応が男性だと決まってエアを見てはそう口々に言ってくる。
なぜかエアが異性を惹きつけやすいことを知っていたが、知らない男にまじまじと見られるのは気分があまりよくなかった。
「疲れましたか? 元気がないように見えます」
右手に飴、左手にソーセージを持つエアにそう言われ、無意識に彼は自分の顔に触れた。
(ああ…心配かけてしまったか)
彼は反省し、独占欲をスッと表情の下に隠した。
「まあ少しな…宿に戻るか」
「他の方々へは何か差し入れなくてよろしいのですか?」
「平気だろ。あいつらはあいつらで部屋を取ってあるし、スケジュールはすでに伝えてあるから勝手に食って寝るさ」
「そうですか」
二人は大通りを後にすると宿に戻り温泉に入る準備をした。
そして言わずもがな。
二人は同室である。