海の底にある夢【完】
そして、手すりにもいる鳥たちには申し訳なく思いつつも、レイダスをさっさと追い越し足早に階段を上る。
彼が通ると急に驚いて鳥たちは皆一斉に飛び立っていった。
どうやら演奏に聞き入り過ぎて突然通過した人間に、そのときになってようやく気付き驚いたらしい。
ディレストは後方でレイダスから呼び止められる声が聞こえていないのか、急いで階段を駆け上る。
そしてようやく、踊り場に新しく設置されたベンチの上で一人の女性が手にハープを持って座っているのを発見した。
その目は伏せられ、手元のハープしか見ておらず、彼が来たことに気づいていないようだった。
一歩、彼が踏み出した。
カツ、と革靴の音が響き、その音でハープの演奏がやんだ。
カツ…カツ…と響くその連続した音は、何かを確かめるかのようにゆっくりとした速度だった。
やがてハープの先に見えた、革靴のつま先。
ゆっくりと彼女は顔を上げ、その視線を彼の緑色の瞳と絡ませた。
海のような青い瞳と、この世のものとは思えないほど真っ白な髪。
その肌はシルクのようにきめ細かで、雪のように白かった。
彼はなぜか、その白からいつかの空に浮かぶ雲を連想した。
「……」
「……」
お互いしばらく無言で見つめ合った。
瞬きをすることすら、はばかられた。
開けられた小窓から風が踊り場に吹き込み、二人の間を通過する。
それに乗せて二人の白い髪と金色の髪が緩やかに揺れた。
しかし、彼女の方が先に根負けした。
その色白な頬が徐々にほんのりとピンクに染まり、真一文字に引き結ばれていた唇が嬉しそうに綻び、花のように可憐な微笑が彼を優しく迎えた。
その微笑みを見た彼は表情を変えず、むしろ眉間を険しくさせて彼女に大股で近づいた。
そして、涙する彼女を馬車の中でもそうしたように、その隣に座り一生離さんとばかりにきつく抱きすくめた。
「…正直、全てを思い出せてはいない。ステンドグラスを預ける前後の記憶が曖昧だった。いつも俺は何かを求めていた」
何か大事なことを忘れている気がしていた。
ぽっかりと空いた心。
一体、そこには以前何があったのか。
彼はずっと思い出せずにいた。
…あのとき、花火を見た。
誰と見たのかは思い出せない。
気が付けば花火ではなく隣にいた誰かを飽きもせず、ずっと眺めていた気がする。
花火を見上げているその手に無意識に自身の手を重ねると、その誰かは少し恥ずかしそうにはにかみ、照れを隠そうとまた顔を夜空に咲く鮮やかな華に向けた。