海の底にある夢【完】


そして数々の走馬灯が断片的に彼の目の前を通り過ぎて行った。
色褪せた思い出が再びよみがえる。

あのときいた誰かが、目の前にいる彼女に変わっていく。

目を瞑ってその走馬灯をやり過ごした彼は、腕の力を緩め、胸の中にいる彼女の頬に手を添えると上向かせた。

僅かに濡れた青と艶やかで熱い緑の眼差しが、ただ静かに交錯する。

永遠に続く瞬間かと思われたが、我慢できなかったのか最初に口火を切ったのは僅かに表情を緩めた彼だった。

「髪、伸びたな。でも正直、長い方が好きなんだ」

「…知ってます」

(だってしきりに触っていたから)

彼女は膝枕を要求されたときのことを思い出していた。

一方で、長い方が好きだと言った彼は、背中に回している手のひらを動かしてその髪に遠慮なく触れた。
指先に絡ませてはその質感を確かめている。

「髪、染めてないですね」

「こんな騒がしい現場で誰も軽装の俺が誰だかわからないだろ」

「私は上から見てました。一目で誰かわかりましたよ」

ふふっと悪戯っ子のように笑った彼女を彼は見過ごさなかった。

「ほう? 俺が誰だって?」

「っ…!」

意地悪な笑みを浮かべてそう聞いてくる彼に、エアはついにその顔を歪ませ潤ませていた瞳から大粒の涙を落とした。
嗚咽だけが先行しなかなか言葉が出なかったが、彼が待ってくれていることを悟ると、ぼやけた視界の先にいるディレストに向かって必死にその名前を呼びながら勢いよく抱き着いた。

「ディール…!!」

名前を呼ばれ嬉しそうに口角を上げた彼は、全身で想いをぶつけてくる彼女の耳元に口を寄せると囁いた。

「ん。上出来だ、エア…」

そこで言葉を切った彼は、再び彼女の顔を自身に向けると、そっと口付けを落とした。
突然の出来事に彼女はきょとんと瞬きをする。
気が付けば、涙はすでに引っ込んでいた.

その様子をおかしそうに見つめたディレストは、もう一度吐息交じりに囁いた。

「目、閉じろ」

言われるがままエアが瞼を閉じると、今度は激しいキスの雨がそそがれた。
その波に飲まれそうになり、ぎゅっと彼にしがみつくと、激しさが消え、今度は味わうような動きに変わり、唇が離れたと思ったら耳元でしっとりとした声が至近距離でこう告げてきた。

「エア、好きだ…またどこかに行くというなら、そのときは俺も連れて行ってくれ」

内容は、彼がその胸に抱いたかつての切実な願いだった。

それを聞いたエアはしっかりと頷き、自ら身を乗り出しお返しに子供のようなキスを彼にした。

「私も…ディールが好きです。でも、もう勝手にいなくなることはありません。約束します」

「ああ、約束だ」

「ふふっ。では今度、一緒にクジラの歌を聞きに行きましょう? 私の家がかつてあった海域を代々住処にしている家族がいるんです」

「ああ、行こう。そこ以外でも、おまえが行きたいところへ俺も連れて行ってくれ。必ずついて行くから」

「はい。約束ですよ?」

「……ああ、約束だ」

二人から漂う激甘な空気に、もう見ていられない、と鳥たちが一斉に飛び立ち、大空に舞い上がった。

その光景が二人を祝福しているようだった、と後にレイダスは仲人として人々に語り、時計塔の管理人はそのときの様子をモチーフにしたステンドグラスを特注すると、これ見よがしにそれも飾った。

そうして結ばれた二人はやがてオルガノ王国を統べる者となり、その仲の良さは皆のお手本となった。

そして豊かで優しく、歴史と思いやりを重んじる国になるよう、互いの手を取り合いながらその生涯を尽くしたのである。










ーーーfin.









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