一筆恋々
一通目 春和景明の候
【三月十七日 手鞠より駒子への手紙】
拝復
ここのところ駒子さんのお顔のいろがすぐれず、この陽気だというのにひとり冬の中に閉じこもっているように感じていました。
今日のお着物もせっかくきれいな桜いろの銘仙でしたのに、桜隠しとはこのことねと菜々子さんも心配していました。
お手紙をくださるときも、幾度も出しては引っ込め、渡してからもなかなか手を離さずにためらっていましたね。
それほどまでに駒子さんを苦しめるのはどんなお悩みだろうかと、不安を抱えながら封を切りました。
駒子さんが心配するのも無理ありません。
まさかお兄さまの八束さまが、日ごと女性を待ち伏せしているなんて。
英子爵家のご長男がそんな振る舞いをなさっているなど、世間に知れたら大問題です。
いつ何時「もの狂いの徒」などと、本質を突く方が現れるやもわかりませんもの。
八束さまご自身はもちろん、今後の駒子さんの縁談にも差し支えてしまいます。
ご両親がまだご存じないのでしたら、わたしは駒子さんがじかに八束さまをおいさめすることをおすすめします。
駒子さんの真剣な想いを八束さまがないがしろにするとは思えませんので。
それにしても八束さまと言うと、はじめてお会いした折の桃いろ振り袖姿しか印象にありませんが、女人に興味がおありだったのですね。
お世継ぎを望まれる身でしょうから、視点を変えるとこれはきっと朗報です。
物事の良し悪しは表裏一体と申しますが、課題もせず一心に考えてもこのくらいしか良いところが思いつきませんでした。
ごめんなさい。
わたしの無力はいま示した通りですが、せめて気晴らしに今度うちに寄っていかれませんか?
駒子さんが来てくれるなら、ビスケットを作ろうとちよさんと話しているのです。
チョコレートをたくさんねり込んで。
ぜひぜひいらしてくださいね。
かしこ
大正九年三月十七日
春日井 手鞠
英 駒子さま
< 1 / 116 >