一筆恋々
八通目 三寒四温の候
【三月十五日 手鞠より駒子への手紙】
拝啓
風に含まれる新芽の香りが強くなって参りました。
着物もあかるいいろが多くなり、教室はすでに春の賑わいですね。
淡雪さんから聞いてしまいました。
駒子さん、久里原呉服店に乗り込んでくださったそうですね。
優雅な所作で新作の反物を広げながら、よくあれだけの啖呵が切れたものだと、淡雪さんも感心していらっしゃいました。
駒子さん、淡雪さんに何か言われましたよね?
淡雪さんの行動にははじめから違和感がありましたので、何か裏があるだろうと思っていたところに、この駒子さんの行動です。
繋がっていないわけがありません。
けれど「テニスのラケットを振るように、オペラバッグで静寂さんを張り倒した」というのは、さすがに淡雪さんの作り話ですよね?
まさか事実?
子爵家のご令嬢と言えば、世が世なら“お姫様”です。
お立場ご存じ?
もし本当なら、静寂さんには申し訳ないけれど痛快です。
「世界を失ったようなあの気持ち、あなただっておわかりのはずでしょう?」
駒子さんが静寂さんへ向けた言葉は、そのままわたしの想いであり、また菊田さんに向けられる言葉でもありましょう。
世界は広いのに、恋をするとなぜあんなにも小さくなってしまうのでしょうね。
わたしの世界は静寂さんの形に、すっぽり収まってしまいました。
空を見ても、花を見ても、何を食べても、すべて静寂さんへと繋がって、帰ったらお手紙に書こうと、毎日がいとおしく感じられました。
この世界には、あの人がいる。
それだけで切子グラスの縁に七彩の光を見つけたときのように、輝いて見えたのです。
とてもしあわせでした。
駒子さん、ありがとうございます。
素敵な恋とよき友は、わたしの宝です。
敬具
大正十年三月十五日
手鞠
わたしの良き友へ