私が恋を知る頃に
「こんにちは、穂海ちゃん。」

お迎えに来てくださった施設の方は、優しそうな年配の女性だった。

今回、穂海が行く施設は、今まで数回入ったことがある施設とはまた別の所で、穂海も施設の方もお互いに初対面だった。

穂海は、何も言わずに俺の後ろにピッタリとくっついたまま。

「…すいません、この子大人と接するのが苦手で。」

一応、穂海の事件のことや家庭環境は施設の方には伝わっている。

だからか、施設の方もそう驚きはしなかった。

「こちらこそ、初対面なのにごめんなさいね。そうよね、知らない人に急に喋りかけられたら怖いわよね。」

「…………」

穂海はだんまりだ。

男性には明らかに拒絶反応を見せるから、女性ならまだ大丈夫かと思っていたが、女性でもダメだったかな…

俺は、清水先生が病気や今後生活する上での注意点、薬のことなどを説明しているうちに、穂海に向き直った。

「穂海、大丈夫?…やっぱり、まだ大人は怖い?」

穂海は少し考えてから小さく頷いた。

「…………怖い…もあるけど、話しかけられると……びっくりして…頭、真っ白になる……」

あぁ、なるほど。

それで少しフリーズしてしまっていたんだか。

「じゃあ、怖くて息が苦しくなったりするような感じはない?」

「…うん」

それなら、まだよかった。

「ゆっくりでいいから、施設の人と喋ることできる?自分の名前と挨拶だけでいいからさ。」

……コクン

「うん、じゃあ頑張ってみよう。」

清水先生が話し終わったタイミングで、そっと穂海の背中を押す。

「…………あ、あの…」

「はい」

施設の人はにこやかに聞いてくれる。

「……ゆ、悠木 穂海…です。…………これから…よろしくお願いします。」

小さな声だったが、上手く言えた。

「はい。こちらこそ、よろしくお願いしますね。」

まだ、目を合わせることは難しいみたいだけどコミュニケーションを取るのは大丈夫そうだ。

「じゃあ、そろそろ行きましょうか。」

施設の方がそう言うと、穂海はびくりと肩を揺らす。

それから、俺の白衣の裾を掴む力が強くなる。

「穂海、大丈夫だよ。」

「…………」

やっぱり知らないところに行くのは怖いよね。

穂海の両目にはみるみるうちに涙が溜まっていく。

「大丈夫、大丈夫。何かあったらすぐに連絡くれたらいいからね。何も無くても、検診の時に会えるしさ。」

それでも、なお穂海の目には涙が。

「…不安だし、怖いよね。でもさ、行ってみたら案外楽しいかもよ?大丈夫だから、行っておいで。」

穂海は、とうとう涙を流した。

「大丈夫。大丈夫。向こうでも、穂海を傷つける人は居ないよ。もし、いたら教えてくれたらいいからね。大丈夫。安心して行ける場所だよ。」

穂海に目線を合わせて頭を撫でる。

穂海は泣きながら小さく頷いてくれた。

「またすぐに会えるよ。」

最後にそう言って、穂海を抱きしめる。

穂海は今度はしっかりと頷いて自分で涙を拭った。

「…がんばる」

「うん。頑張れ!」

コクン

穂海は荷物を手にして、施設の方の方へ歩き出す。

「いってらっしゃい!」

「…いってきます」

少し声が震えていたけど、しっかりとした返事に安心した。

少し……いや、本音を言えばめちゃめちゃ寂しいけど、こればかりは俺が干渉することはできないから。

穂海が楽しく生活できるように祈るしか無かった。
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