私が恋を知る頃に
俺に体重を預けたまま疲れたように眠った穂海をそっとベッドに寝かせなおしているとコンコンとドアがノックされた。

「……瀬川、大丈夫?」

そう言って顔を覗かせたのは清水先生。

「…泣き声聞こえてたからさ、目覚ましたんだって思って様子見に来た。」

先生の顔には心配の二文字が書かれているように現れていた。

穂海がしばらく眠り続けている間も、穂海がいつ起きてもいいようにって清水先生は俺と交代で夜勤帯の時間に穂海のそばに居てくれた。

先生も、前苑のことがあったから余計心配だったんだろう、すごくよく気にかけてくれていた。

「起きて、少し話したんです。自分を傷つけちゃいけないよって。少し取り乱したりもしたんですけど、最終的には納得してくれたのか、少し吹っ切れた様子でした。」

「そっか。それはよかった。…うん、ほんと、よかった。」

清水先生は穂海の寝顔を見ると、安心したように表情を緩めた。

「…やっぱりさ、こういう子たちはすごくデリケートだから、傷つきやすくて自分でも傷つけちゃうんだよね。穂海ちゃんが、瀬川の言葉で少しでも楽になれた様子でよかった。寝顔もいつもより安心した表情してる。」

「……穂海が楽になれたなら本望です。でも、まだ穂海の心の傷は絶対癒えきっていないし、また突発的に希死念慮を抱いてしまうかもしれません。…やっぱり、心の傷を癒すのって想像以上に難しいし、時間がかかりますね……。」

小さい頃からどれだけの棘が穂海の心に蓄積していったか、それが今どれだけ穂海の心を蝕んでいるのか、それを正確にはかることはできないけど、少なくともこの小さな体で背負うには大きすぎるものを穂海はまだ抱えている。

それは苦しみの元となったあの家から離れられた今でも穂海に付きまとわり穂海をいじめ続ける。

「……口悪くなっちゃうけどさ、正直腹立つよな。なんの事情があったかわからないけど、自分よりも小さな子で鬱憤を晴らして傷つけて苦しめて…直接の虐待からは逃げられても、心に残った傷はずっと長い間癒えなくてそれがまたこの子たちを苦しめて……。なんで、この子たちはこんな目に会わなきゃいけないんだろうな。…こんなに、可愛くて健気で良い子たちばかりなのに……。」

清水先生の言葉には重みがあった。

きっと、先生は俺よりも沢山の子どもを見ているから、その中でやっぱりいくらかはこういう事情の子たちもいたんだろうな。

「なんで、こんな悲しいことが絶えないんでしょうね。」

声が震えた。

清水先生は黙って俺の背中を撫でてくれた。
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