私が恋を知る頃に

碧琉side

穂海のその言葉は俺にとっては意外な返答だった。

"お母さんに会いたい"

そう言った穂海の表情は酷く辛そうで、葛藤しているようにも見えた。

「……なんで、会いたい?」

そう聞くと、穂海は少しずつ言葉を絞り出すように話し始めた。

「……私、お母さんのこと…嫌いに、なれない…………、今はすっごく、嫌なはずなのに……、昔のことを思い出すと…やっぱり優しいんじゃないかなって………、期待しちゃう……。お母さん、本当は優しいんだよ?私のこと、いつも撫でてくれて…、暖かくて、気持ちよくて……。今のお母さんはお母さんじゃないの!!悪い男の人のせいなんだ!!…だから、きっと…………、私と二人きりになれたら……また、優しいお母さんに会える…よね……?」

そう泣きながら無理やり作った笑顔は、とても引きつっていて見ているだけで痛々しかった……

それで、"会いたい"か…………

可能性がないことはない話だった。

……でも、第三者である俺視点から見れば、穂海のお母さんが穂海にどれだけ残酷なことをしてきていたか知っているし、数回にも渡って穂海が死にかけているのを無視してきた人だ。

昔は穂海の言うように優しかったのかもしれないけど、きっと変わってしまった"お母さん"はそう簡単には元の優しいお母さんには戻れない気がした。

でも、これだけ信じたがっている穂海に俺がどれだけ言ってもきっと響かないだろうし、穂海自身を傷つける発言になりかねない。

ここは肯定も否定もせずうまくかわすしかないかな……

「…………そうかも、しれないね。…でも、まずはさ、一回穂海が元気にならなきゃ……」

そこまで言って言葉が詰まった。

……なんで俺、こんなに回りくどい言い方してるんだろう…

こんな回りくどい言い方で、肝心なことを避け続けて、穂海を傷つけないようにってそればっかり……

これじゃあ、いつまで経っても根本的な解決には向かわないんじゃないか?

「…………」

「……碧琉くん?」

不安げに俺の表情を伺う穂海の頬にそっと手を伸ばした。

「…………穂海。」

「………なに……?」

その顔は少し怯えているように見える。

「……穂海、今度精神科を交えて面談しよっか。」

「…………え?」

穂海は驚いた表情から、だんだん不安げで怯えたような表情に変わる。

「穂海。穂海はね、今、心の病気にかかっちゃってるの。」

優しく、できるだけ柔らかい言葉で、でも真っ直ぐに言葉を伝える。

「だから、精神科の先生に手伝ってもらって、しっかり心の治療をして治さなきゃいけない。」

「………………」

数秒の沈黙の後、穂海は力なく首を横に振った。

「……私、大丈夫だよ?………少し、疲れちゃった、だけだから……、ごめんね、私が悪い夢ばっかり見るから………だから、私……」

「ううん。違うよ。穂海が今しんどいのも、嫌なことばっかり思っちゃったり、嫌な夢を沢山見るのも全部病気のせい。それに、病気になっちゃったのは悪いことじゃないよ。仕方ないの。穂海がずっと嫌な思いをしてきてさ、その心に刺さったたくさんの棘が悪さしてるの。穂海のせいじゃないよ。」

そう言ってからしばらく、穂海はぽかんとした表情で固まっていた。

しかし、徐々に穂海の両目に涙が浮かんできて、スーッと頬を伝う。

「私、病気……なの?」

「…うん、そうだよ。でも、大丈夫。一緒に治療していこう?そしたらさ、きっと今よりも気持ちが楽になるし、考え方も少し違ってくるんじゃないかな。」

病気になってしまったのは穂海せいじゃない、なのに穂海はその心の傷にずっと苦しめられて、自分を傷付けるまでに至ってしまった。

治療をはじめて少しずつでも心の傷が癒えたなら、穂海がきっと元々持っていただろう元気や沢山の笑顔が戻ってくるだらう。

この治療は前向きな話だ。

だから、穂海にも前向きに考えて欲しいんだけど……

「…………」

少し俯いた穂海の表情はまだ晴れていなかった。
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