私が恋を知る頃に
「それよりさ、穂海ちゃん、どうだった?」

そう口を開いたのは清水先生だった。

先生も、先程、初めての院内学級を終えた穂海のことを気にかけてくれていたようだ。

「ちょっとトラブルはあったんですけど、概ね問題なく終わりました。穂海も、最初は緊張していたみたいですけど、最後の方は慣れてきた様子でした。」

そういうと、先生は安心したようににこっと笑い、コーヒーを一口啜った。

「よかった……。正直、少し心配してたんだ。穂海ちゃんがどれくらい、初対面の人と打ち解けられるか、怖がらずにいられるかは未知だったからさ。」

そう少し下を向いていう先生の瞳の中には、きっとかつての前苑の姿が浮かんでいるのだろう。

穂海と同じく、虐待によって心に大きな傷を負った前苑は、しばらく人間に対して強い恐怖心を抱いていた。

本当に、何もしない人間でさえ、他人というだけで、自分よりも年上であるというだけで、恐れ、涙を流していたのだ。

その姿を間近で見ていた清水先生だからこそ、穂海のこともさらに気にかけて心配してくれていたのだろう。

心理的な人間に対する恐怖というのは、本当に計り知れない。

心的被害を受けた人同士でも、差があるし、一見平気そうに見えても、本当は隠しているだけで計り知れないほどの恐怖を抱えていることだってある。

それが、後々、身体的症状として表れて初めて、それに気が付くことも……

正直、後者に関しては、まだ穂海も経過観察が必要だ。

でも、取り合えず、今日の段階ではパニックを起こすこともなく終えられたことが一安心ということだな。

「俺としても、良かったです。他の子と話している時の穂海、いつもより表情が明るくて。……もしかしたら、穂海は人と接することが好きなのかなって思いました。」

「そうだね。うちの朱鳥は、そこのところが苦手だったけど、穂海ちゃんの場合、同学年くらいの子だったら、話すことがむしろストレスの軽減につながっているのかもね。」

そういわれて、この前来ていた施設の子たちのことも思い出す。

確かに、やっぱり穂海は人と話している時の方が、表情がいいよな。

これからも、何かのヒントになるかもしれないと思い、白衣のポケットから取り出したメモに書いておくことにした。
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