私が恋を知る頃に
その日の夜、穂海ちゃんを寝かせたあと、俺は医局に戻って、清水先生に今日のことを報告することにした。

「清水先生、今お時間大丈夫ですか?」

「ん?あぁ、瀬川くんか。大丈夫だよ、どうだった?穂海ちゃんと上手く話せた?」

「……はい。穂海ちゃん、手術自体…というよりは、手術したあと、家に戻らないといけないのが怖いって。…それに、怯えていたみたいです。」

「んー、そうか。……でも、きっと家に帰ることはないね。」

「えっ」

思わず驚きの声が零れる。

「だって、警察も介入してきてるから。…きっと、児童相談所に保護されるか……親権が剥奪されて、児童養護施設に送られるか…だね。」

親権の剥奪……

上手くは言えないけど、それはいい事…なのかな。

いくら、酷いことをされてても、穂海ちゃんは、それを望んでいない気がする。

……というか、親権を剥奪した所で、穂海ちゃんに酷い暴力を振るった張本人の男の人はどうなるんだ?

穂海ちゃんの話を聞く限り、本当の父親ではないと思われる。

…………児童相談所か児童養護施設…、まだ完全に大人に対する恐怖が拭えていないのに、それもかなり酷じゃないか?

……それなら、うちにずっといてもらった方が…

「瀬川くん、色々思うところがあるのはわかる。……でも、ここでいつまでも匿ってあげるわけには行かないんだ。」

そんな……

「病気が治ったあと、穂海ちゃんがここに入院しておく必要はなくなる。……それに、児相に保護させているわけでも、養護施設に入っている訳でもない。…そしたら、入院費、治療費は誰が払うの?」

その言葉はいくらなんでもないんじゃないか?

穂海ちゃんを見放すってこと?

所詮、清水先生はそこまでしか考えてなかったってことかよ。

そうカッとなってつい言葉を荒らげてしまう

「し、清水先生は、穂海ちゃんのことより、お金の方が大切なんですか?」

「違う。俺だって、無償で穂海ちゃんを救えるのならいくらでも助けてあげたいし、ずっと入院しててもらっても構わない。……でも、心臓の手術っていくらかかるか知ってる?俺らは、医療行為を行う側だから分からないかもしれないけど、その高額な費用は誰が出す?…将来の穂海ちゃんが出さないといけなくなるんだよ。」

そう言われて、自分の考えが甘かったことにハッとさせられる。

「…………穂海ちゃんのことを悪く言うわけじゃないけど、中卒の子が就職に不利で、就職したあとも、大卒の人に比べたらお給料がかなり少ないのはわかるでしょ?その、少ないお給料で、穂海ちゃんは生きていかないといけないんだ。…だから、少しでも将来の穂海ちゃんが負担にならないように考えてやるのも、俺らの役目じゃないかな?」

「………………はい。俺の思考が、甘かったです。」

「ううん。大丈夫。大切な人には、盲目になるものだよ。…大切にしてあげたいのはわかる。でも、残酷だけど、現実を見なきゃ、夢だけ見て生きていけるほど、この世の中は甘くない。…俺らは、恵まれた環境で生まれて来れたから、こうやって医者になれた。医者になれたから、俺は朱鳥の治療費を払って上げられたし、養ってあげられている。本当に残念な話だけど、恵まれた環境に生まれて来れなかった子は、将来成功することが、人一倍難しいんだよ。」

胸が締め付けられる思いだ。

清水先生の言う通りだ。

俺らは、父さんと母さんが頑張って稼いでくれたおかげで大学に行けたし、何不自由なく暮らしてこれた。

…………けど、穂海ちゃんは違うんだ。

…でも…………でも……

あんな辛そうにしてる子を、見放したくない。

……非現実的なのは、わかってるけど…

穂海ちゃんを助けてあげたいんだ。

………………こんな苦しい気持ちになったのは初めてだ。

どうする?どうする俺……

考えろ…考えろ……
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