銀のナイフと薬を手にして
はしゃいだ拍子に、テーブルの上で手が触れそうになった。はっとすると同時に、中岡さんはすっと引いた。
「手くらい」
とわたしは酔いにまかせて呟いた。
「触っても、いいのに」
もしかしたら、この焼き鳥屋のレモンサワーはちょっと焼酎が濃いかもしれない。
「ななちゃんはいい子だな」
中岡さんが言った。コップに添えた手を、見る。やっぱりまだ信じられない。このひとがHIVに感染していること。治らない病気を抱えているなんて。

うずらは噛むと、ほっこり湯気と塩気が溢れた。咀嚼しながらふと思う。この世は焼き鳥とレモンサワーを一緒に楽しめる相手とできない相手に分かれることに。
たとえば山本君は爽やかで感じの良い後輩だけど、仕事が終わってぶらっと二人で焼き鳥屋に寄るところは想像できない。前に付き合っていた彼も、服に匂いが付くから焼肉と焼き鳥はやだ、と女子みたいなことを言っていた。
広告会社に勤めていた前彼は、初めてホテルに行った朝、わたしがまだベッドでぼーっとしているときに鏡の前で念入りに髪を整えていた。好きだったけど、それ以来、会えばいつもどこかしら緊張した。同等の気合いを無言で要求されている気がしたのだ。
もしかしたら一緒に焼き鳥が食べられるって、一緒に生きていけるくらい大きなことなのかもしれない。
「中岡さん。明日も朝早いんだっけ?」


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