クールな専務は凄腕パティシエールを陥落する
「自分に厳しくて他人に優しい愛菓を泣かしたふてえ野郎はどこのどいつだ。俺が成敗してくれる」

泣き止んだ愛菓に、冗談めかして正近が言った。

「父上、みっともないところをお見せして申し訳ありません」

顔をあげた愛菓は、もう、ためらいや憂いを消して、いつものクールな愛菓に戻っていた。

「この間の野郎だな?お前の彼氏だろう」

この間の野郎とは、和生のことだとすぐにわかった。

「いえ、和生さんにはフランスの皇族の許嫁がいます。私にとっては恩人であり主君。彼の幸せを祈ることが私の幸せであり本望です」

「あいつがその皇女さんとやらと結婚したいと言ったのか?」

「いえ、皇女様とお付きの人から聞きました。お付きの人からは邪魔をするなと牽制も
もされたんです」

愛菓は、誰にも話せずに心に止めていたことを父親に吐き出すことができてホッとしていた。

「フランスの皇族の子孫で、有名な5つ星ホテルの後継者との縁談ですよ。私なんかとお付き合いするより、よっぽど和生殿のためになります」

愛菓の話をじっと聞いていた正近が、ふんっとハナで笑った。

「おめえだって伊藤家の子孫だ。世が世ならお姫様だぞ。それも直系のな」

父方の先祖は、室町時代から続く有名な武家。

祖先のなかには忍者やくの一もいると、正近は自慢げに言った。

「偉いのは祖先であって子孫ではない。本来人は皆平等なんだ。それに、必要なものは自分で選びとるもんだ。他人に決められるもんではない」

真っ直ぐに愛菓を見る正近は、いつもの堂々としていて自慢の父親だった。

「愛菓はあの野郎が本当は何を求めているか本人に確認したのか?あいつがお前に身を引いてほしいと言ったのか?」

愛菓はフルフルと首を横に振った。

「祖父母に預けて勝手ばかりしてる両親が生みの親で、愛菓には辛い思いをさせたと思ってる。だがな、人生は誰のもんでもない。迷惑さえかけなければ、どんな生き方をしても何を望んでもいいんだぞ?」

愛菓はじっと目の前の父親を見た。

伊藤家は、武家から財閥に繰り上げされ、その後、大企業を運営する資産家となった。

本来ならそこを継ぐはずだった長男の正近。

しかし、正近は以前からやりたかった戦国ラーメン店を開業した。

もちろん周囲も、愛菓の母も反対したが、正近は信義を通し、今も生き生きと仕事をしている。

「そうですね。父上。私は逃げてばかりの臆病者です」

「おう、おめえも武士で忍者なら背中を見せるな。常に前を向いて堂々としていろと教えただろ」

愛菓は父の言葉に大きく頷いて、激辛担々麺の最後のスープを飲み干した。

「ごちそうさま。また来る!」

「おう、それでこそ俺の息子だ!」

「娘だけどね」

苦笑いをすると愛菓に

「それと・・・」

「それと?」

正近は親指をたてて

「甘くないウエディングケーキとやら、おめえの結婚式で食わせろよな」

と笑って言った。

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