エリート外科医といいなり婚前同居
「礼央、さん……?」
体に力が入らないのか、ベッドに横たわったままの千波が俺を呼ぶ。
しかし俺は彼女に背を向け、内にこもった熱を逃すように息を吐くとこう言った。
「今の……全部、夢だから」
「え……?」
「おやすみ、千波」
彼女だけを部屋に残して、俺はリビングダイニングへ戻った。
するとキッチンから焦げ臭い匂いが漂ってきて、「あ、肉……」と呟きながらオーブンを開けてみる。
「……うまそう」
取り出した仔羊の塊肉は、少々焦げてはいるが食べごろのようだ。
こんなレストランみたいな料理、どうやったら作れるんだろうな。
家事に無頓着な俺は、興味深く肉を観察した後、誘惑に負けて塊の端を包丁で削ぎ口に入れてみる。
肉の外側にまぶしてあるハーブの香りと、肉の旨味とが相まって、予想以上に深い味わいだった。
「無邪気で可愛くて料理上手で……どんだけ俺の心つかめば気が済むんだ」
思わずひとりごちて、ため息をつく。
婚約者のフリでいい……なんて、いつまで俺は余裕ぶっていられるだろう。
もしこのまま、千波が俺のことを思い出してくれなかったら、どうするつもりだ?
ひとつ屋根の下で、甘い戯れを繰り返しながらも、一線は超えないように我慢する毎日……なにかのきっかけで、俺はいつか爆発するんじゃないか?
例えばほかに千波に近づく男がいたりした場合、すぐにでも導火線に火が付きそうだ。今のところ、そんな様子はないからまだ安心だが……。
俺は仔羊の塊を前に、キッチンで一人そんなふうに頭を悩ませるのだった。