偽婚
「じゃあ」と言った男は、私に気を遣ってか、一番安いシャンパンを入れた。

乾杯しながら、男は笑う。



「しっかし、見違えたな。一瞬、わかんなかったもん。そうやってちゃんと着飾ってたら、別人みたいだよな」


確かにあの日の私は、ニットを羽織り、デニムを穿いただけのラフな恰好だったけれど。



「そっちこそ、今日はスーツじゃん。仕事帰り?」


男の方こそ、上質な細身のスーツを綺麗に着こなしている。

それに、あの日はそこまで気にしていなかったけれど、よく見れば整った面立ちで、これなら放っておいても女が寄ってくるなという感じ。



「えーっと」

「あぁ、そういえば、俺まだ名乗ってなかったよな」


思い出したように言って、男は私に名刺を差し出した。

『神藤 柾斗(しんどう まさと)』という名前の横に、小さく『副社長』と書かれていて、思わずそれを二度見してしまう。



「わっ、すっごい」


そういえば立派なマンションだったなとか、だから若いのに高そうなスーツなのかとか、遅れて色々なことを思ってしまった私。

男は――神藤さんは苦笑いしながら、



「すごいのは、俺じゃなくて俺の父だ」


と、だけ言った。


よくわからないけれど、今すでに副社長ってことは、ゆくゆくは親の跡を継いで、社長になるのだろう。

神藤さんは、私とはまるで違う人生を歩んでいる人だった。
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