偽婚
夜になり、神藤さんが戻ってきた。
今朝よりずっと、顔が土気色だ。
「大丈夫? 何かやつれてない?」
「もしお前の容態が急変したらって思ったら、正直、仕事も手につかなかった。携帯が鳴る度にびくびくしたよ」
そう言って、神藤さんはひどく疲弊した顔で、ネクタイを緩める。
こんなにも不安にさせていたなんて。
私は、わざと明るい声を出した。
「お昼に高峰さんがきてくれたよ。それと、梨乃も。梨乃ね、すっごい泣いてたの」
「そうか」
「でもさ、自分のために泣いてくれる人がいるって幸せなことだよね。生きててよかったって、本気で思った。だから私の容態は急変しないし、これからどんどん回復していくの」
「根拠のない自信だな」
「『病は気から』って言うでしょ? 別に私は病気じゃないけど、でもこのままだと、神藤さんの方が病気になっちゃうよ?」
私の言葉に、神藤さんは長いため息を吐きながら、こうべを垂らす。
「わかってるよ。けど、帰っても眠れる気がしないんだ。頭では理解してても、兄の時みたいに、目を覚ましたらお前が消えてるんじゃないかって」
「私は絶対に消えたりしない」
神藤さんの頬に触れる。
小さな子供みたいに、震える頬に。
「ほら、これ、ちゃんと現実でしょ? 夢じゃないよ。私も、神藤さんも、今、生きてるよ?」
神藤さんは、恐る恐る、頬に添えた私の手を握る。
その目の淵から、一筋の涙がこぼれた。