偽婚
今年の夏は、異常に暑い。
その所為で、さすがの私も夏バテしていた。
お母様に呼び出されたのは、そんな時だった。
「杏奈さん、これ、お友達からいただいたの。フランス旅行のお土産ですって。どうぞ」
「ありがとうございます」
直接の電話だったし、神藤さんが不在だったので助けを求めることもできないまま、私は家にお呼ばれしてしまった。
とてもいい人だとはいえ、騙している罪悪感があるから、あまり会いたくはなかったのだけれど。
お母様は、フランス語の書かれた箱を私に差し出し、幸せそうにほほ笑んでいた。
「写真も見せてもらったんだけど、いいわよねぇ、パリ。イタリアやイギリスには行ったことがあるんだけど、フランスには一度も行ったことがないのよ、私」
「そうなんですか」
「あ、そうだ。今度、女ふたりで旅行しない? 亭主なんか放っておいて。絶対に楽しいわよ。ね? 杏奈さん。姑と一緒じゃ嫌かしら?」
嫌とか嫌じゃないとかの前に、パスポートの名前を見られたら、偽装結婚がばれてしまうのだが。
「私、本当は女の子がほしかったのよ。でも無理だったから、今は杏奈さんのこと、娘のように思っているの」
そう言って、お母様は、私の手を取った。
涙が出そうなほどに、素敵なお母様。
私の母にも少しは爪の垢を煎じて飲ませてやりたいと思うが、しかし今は、生きているのかすら定かではない。
「私も、できることならお母様の娘として生まれたかったです」
それは、本心。
お母様には大きな嘘をついているからこそ、他のすべてのことには、誠実な気持ちで向き合いたかった。