偽婚
あぁ、そうか。

私はもう、母親なんだ。


息を吐き、梨乃は立ち上がる。



「ちょっと飲みもの買ってくる。私も頭冷やしたいし」


梨乃には本当に申し訳ないことをしているなと思う。

出て行くその背を見送り、私は高峰さんに聞いてみた。



「弁護士資格剥奪されたら困るって言ってたくせに」

「純愛なら問題ないかと思って」


悪びれるでもなく言う、高峰さん。

暗い過去を抱えているとは、到底思えないような、飄々とした返答だ。



「梨乃のこと、ほんとに好きなの?」

「ずっと杏奈ちゃんのこと口説いてたのに、ごめんな」

「いや、そういうことじゃなくて」


私が怒るより先に、高峰さんはふと真面目な顔になる。



「別に女なんて、誰でも同じだと思ってたんだけどなぁ。でも何か、梨乃といると楽しくてさ」


高峰さんは、梨乃のことを『梨乃ちゃん』とは呼ばなかった。

私の知らない、梨乃と高峰さんの、これまでのこと。



「俺なんか、何で生きてんだろうってずっと思ってた」

「………」

「でも、梨乃が言うんだ。『高峰さんが弁護士になったおかげで救われた人はいっぱいいるはずだよ』って。『それでじゅうぶんじゃん』って」

「………」
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