偽婚
「杏奈ちゃん……」

「私はね、ひとりで子供を産むって決めたの。父親なんて、最初から存在していないの。神藤さんはただ、過去に偽装結婚して、お金くれて一緒に暮らしてただけの人。だから、忘れなくちゃいけないの」


忘れなくちゃ。

それが私のためであり、そして神藤さんのためでもあるのだ。


ずっとそう言い聞かせ、私はあれからの日々を過ごしてきた。



「子供が生まれても、私は神藤さんのことは話さないつもりだよ。それでいいの。そう決めたの」


私の言葉に、高峰さんは大きなため息を吐いた。



「ごめん。杏奈ちゃんの決意を応援するって決めたし、俺も、頭ではわかってるんだ。でもな、やっぱり神藤の顔見ると、正直、このまま隠し通すのは心苦しいんだよ」


それは、当然だと思う。

高峰さんは、大学の頃からずっと、神藤さんと仲よくしていた。


私と知り合うよりも、ずっと前から。



「ごめんね、面倒なことに巻き込んじゃって」

「いや、いいんだ。こうなることは想定内だったのに、今のは余計なこと言った俺が悪かったから」


そして高峰さんは、今日は早めに席を立った。



「とにかくいい物件見つけたら、そこに電話して」

「ありがと」


ありがとう、高峰さん。

神藤さんのこと、よろしくね。


私は心の中で願いながら、静かにその背を見送った。

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