偽婚
そう言った神藤さんは、キッチンカウンターの隅に置かれていた、謎の器具の前に立った。

理科の実験で使うような装置だ。



「何これ?」

「サイフォンだよ」


サイフォン?

って、何だっけ?


私が首をかしげていると、神藤さんは腕まくりをし、手際よくロート管のセットを始めた。



「うちは元々、祖父が喫茶店をやっていたのが始まりなんだ。コーヒーがうまいと評判の店だったらしい。それで父が跡を継いだのを機に、チェーン展開して、今の会社の形になった」

「………」

「でもコーヒーの味だけは変えないのが信念だ。豆も、独自の調合や焙煎方法だしな。俺も父から淹れ方を教わったんだよ。だから、他のどの店で飲むよりうまいはずだ」


何度も攪拌(かくはん)と抽出を繰り返しながらできあがったそれを、神藤さんはカップに注いだ。

差し出されると、香りだけで市販のものとの違いを感じた。



「あ、おいしい」

「だろ?」


思わず呟く私に、神藤さんの顔がほころんだのがわかった。

本当にコーヒーが好きなんだろうなという顔だ。
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