私が探し求めていたもの
《第1章〜幼少期》
まず、私の幼少期の頃からお話したいと思います。
私は生まれつき心臓に疾患があります
簡単に説明すると、人より心拍が二倍早く
例えば、皆が信号が黄色になって小走りするよね?
小走りしても、息切れしないだろうけど
私にとって小走りは
皆の全力疾走したくらい心臓に負担がかかり
小さい頃から運動どころか
生まれつき、呼吸器も弱く
免疫も抵抗力もなく
多少の風邪でも悪化して、肺炎になり
肺に水が溜まってしまったり、何度も危篤になって
何度も生死をさまよいながら生きてきて
皆が、当たり前にできる公園遊び、砂場遊びも論外
爪からばい菌が入ってしまうから
皆が当たり前にできるような
幼少期、遊びはしたことがありません
家族構成は、母と兄と母方の叔母と4人暮らし
兄は目に障害があり
叔母も生まれつき心臓病を患っていましたが
母が仕事をしていたので
私と兄は、おばあちゃんに育てられていました。
うちの家庭というか、親族などがお固い人ばかりで
医者や弁護士、政治家
警察署長公安のトップの人間や
誰もが知ってる飲料会社の会長など
某有名なお掃除サービスの会長など
シングルマザーなのは、私の母だけだったので
母なりに親族にバカにされないように
私も兄も、とても厳しく育てられました...
兄は、元々勉強が得意だったのですが
目が不自由だったので
塾2つ、空手、スイミングなどを通っていて
私は、塾2つ、ピアノ、バイオリン、空手、スイミング
バレエ、茶道、ボイストレーニングなど
たくさんのことを習わされました。
心臓に疾患を抱えながら習い事は
今思い返すと、本当に辛くて
でも、母の期待に応えなきゃと思い、必死でした
入院中もプレイルームにあるピアノで練習させられ
片手に点滴やらいろんなモニターが
体中についてる中
バイオリンの練習さえ、病室でさせられました...
ただ、私は母が喜ぶ顔が見たくて
痛みに耐えながら、私なりに頑張って成果を見せても
母は、褒めてくれることなく
いつも勉強が得意だった兄ばかり褒めて
私は、母に喜んでもらいたくて
面会時間が終わると、泣きながら練習してた日々
少し体の容態が良くなり、退院して
また小学校に通えるようになり
同年代の子がまだ習ってない勉強を塾でしていたので
わりと成績は良かった方でした。
ですが、兄は、いつもテストなどは100点満点
私は、90点台
入院してる期間が長いので
90点台でもじゅーーぶん頑張ってる方なのに
母に言われ続けたことは
「何でお兄ちゃんと同じ塾に通わせて
お兄ちゃん以上に習い事もさせてあげてるのに
何で100点取れないの?
100点取れて当たり前
100点以下なんて、何の価値もない。」
そう言われ続けて
常に頭が良い兄と比較され続けました
正直言うと、私は勉強も苦手というより好きでもなく
ピアノなどの習い事も
母が勝手に申し込み、習わされていただけで
私にとっては、とにかく苦痛でした
ただ、お母さんに認めてもらいたい
ただ、お母さんに褒めてもらいたい
ただ、お母さんに私のことを見てほしい
ただ、それだけでした・・・
でも、その中で私は常に入退院を繰り返していたので
どんどん兄との格差が広がり
いつも私は、母に
「欠陥品」
と、言われ続け
小学校4年生までは頑張って我慢して
母の期待に応えたくて
必死に習い事も通ってましたが
どんなに頑張っても認めてもらえない苦しさから
私の中で何かがプツン。と切れて
習い事もぜーーーーーんぶ辞めて
学校も行かなくなり
私は、母から逃げるようにして
叔母のお姉さんの家に暮らすことになりました。
私は生まれつき心臓に疾患があります
簡単に説明すると、人より心拍が二倍早く
例えば、皆が信号が黄色になって小走りするよね?
小走りしても、息切れしないだろうけど
私にとって小走りは
皆の全力疾走したくらい心臓に負担がかかり
小さい頃から運動どころか
生まれつき、呼吸器も弱く
免疫も抵抗力もなく
多少の風邪でも悪化して、肺炎になり
肺に水が溜まってしまったり、何度も危篤になって
何度も生死をさまよいながら生きてきて
皆が、当たり前にできる公園遊び、砂場遊びも論外
爪からばい菌が入ってしまうから
皆が当たり前にできるような
幼少期、遊びはしたことがありません
家族構成は、母と兄と母方の叔母と4人暮らし
兄は目に障害があり
叔母も生まれつき心臓病を患っていましたが
母が仕事をしていたので
私と兄は、おばあちゃんに育てられていました。
うちの家庭というか、親族などがお固い人ばかりで
医者や弁護士、政治家
警察署長公安のトップの人間や
誰もが知ってる飲料会社の会長など
某有名なお掃除サービスの会長など
シングルマザーなのは、私の母だけだったので
母なりに親族にバカにされないように
私も兄も、とても厳しく育てられました...
兄は、元々勉強が得意だったのですが
目が不自由だったので
塾2つ、空手、スイミングなどを通っていて
私は、塾2つ、ピアノ、バイオリン、空手、スイミング
バレエ、茶道、ボイストレーニングなど
たくさんのことを習わされました。
心臓に疾患を抱えながら習い事は
今思い返すと、本当に辛くて
でも、母の期待に応えなきゃと思い、必死でした
入院中もプレイルームにあるピアノで練習させられ
片手に点滴やらいろんなモニターが
体中についてる中
バイオリンの練習さえ、病室でさせられました...
ただ、私は母が喜ぶ顔が見たくて
痛みに耐えながら、私なりに頑張って成果を見せても
母は、褒めてくれることなく
いつも勉強が得意だった兄ばかり褒めて
私は、母に喜んでもらいたくて
面会時間が終わると、泣きながら練習してた日々
少し体の容態が良くなり、退院して
また小学校に通えるようになり
同年代の子がまだ習ってない勉強を塾でしていたので
わりと成績は良かった方でした。
ですが、兄は、いつもテストなどは100点満点
私は、90点台
入院してる期間が長いので
90点台でもじゅーーぶん頑張ってる方なのに
母に言われ続けたことは
「何でお兄ちゃんと同じ塾に通わせて
お兄ちゃん以上に習い事もさせてあげてるのに
何で100点取れないの?
100点取れて当たり前
100点以下なんて、何の価値もない。」
そう言われ続けて
常に頭が良い兄と比較され続けました
正直言うと、私は勉強も苦手というより好きでもなく
ピアノなどの習い事も
母が勝手に申し込み、習わされていただけで
私にとっては、とにかく苦痛でした
ただ、お母さんに認めてもらいたい
ただ、お母さんに褒めてもらいたい
ただ、お母さんに私のことを見てほしい
ただ、それだけでした・・・
でも、その中で私は常に入退院を繰り返していたので
どんどん兄との格差が広がり
いつも私は、母に
「欠陥品」
と、言われ続け
小学校4年生までは頑張って我慢して
母の期待に応えたくて
必死に習い事も通ってましたが
どんなに頑張っても認めてもらえない苦しさから
私の中で何かがプツン。と切れて
習い事もぜーーーーーんぶ辞めて
学校も行かなくなり
私は、母から逃げるようにして
叔母のお姉さんの家に暮らすことになりました。