龍神愛詞
1・龍王と翡翠
青龍、
黒龍、
白龍、
赤龍、
そしてそれらの頂点にたつ龍王。
誰からも畏れられ、
絶対的な力と存在感で龍の国の統べる者。
孤独な龍王の望みはただ1つ。
たった1人の女の子の笑顔だった。
ここは私が統べる龍族が住む国。
青龍、黒龍、白龍、赤龍、そしてそれらの頂点に龍王。
私は龍王貴族の直系。
産まれながらにして龍王になるべき地位にいた存在だった。
しかしそれは、自分自身が望んだ物ではなかった。
前王が病気になり私が後を継いだ。
ただそれだけの事だった。
力の強さがものをいう龍の世界。
私は疎まれた、ただの龍王という名の人形だった。
周りには前王の側近たちが取り巻く。
だがその者たちも思惑の中にいた。
あの頃の私は、力も意志もなにもない。
ただ親の力だけで生きながらえていた。
・・・お前なんか、前王がいなければただ虫けら同然だ・・・
・・・そうだ、お飾りだけの龍王・・・
そう囁かれる日々。
父や父の側近は他の龍に危害を加えられようとも、助ける事はなかった。
命に別状がなければ、それでいい。
その程度。
反対に私が抵抗出来ない程弱い方が好都合のようだ。
私は死なない程度に生かされていた。
そして前王も思惑の中にいた。
自分の長い間の立ち位置が覆るのが嫌だった。
たくさんの龍の上にたち、見下す地位。
この場所を手放すのが嫌だったのだ。
だから、自分の子どもに地位を譲った。
現王の父という、上の立場のまま君臨する為に。
そう、自分の私利私欲の為だけに私は利用された。
父と子の間に愛はない。
利用価値があるだけの存在。
愛情という言葉はそこには無用なもの。
ある日宮殿に一人の巫女が連れて来られた。
巫女の顔合わせという事で何も知らず、人間界から連れて来られた少女。
しばらくの間、宮殿で暮らす事になった。
前にも何人もの巫女という人間が連れて来られていた。
・・・またか・・・
前王の側近たちも今の地位に固執していた。
強い遺伝子を持つ私の子の後継人。
父が亡くなった後を見越しての行動だった。
どうやっても、そいつらは早く子供が欲しいらしい。
私の龍王として血を持った、次の龍王の誕生がお望みらしい。
私は本当にこいつらの人形だな。
人間を蔑みの目で見ていた取り巻きたち。
その少女にも、いつものように酷い態度で扱った。
それは寒い日の事だった。
私は何気なく窓の外を見た。
空からチラチラと降り始めた物。
雪か・・・。
外の風景はすでに、白一色に染まり始めていた。
ゆっくりと外の変わり行く景色を見ていた私。
その雪の中に何か動く物に目が止まる。
それは人だった。
雪の降る中、箒で雪で湿った枯れ葉を掃く姿。
小さい少女は、吹きすさぶ木枯らしの中にいた。
身体には薄い服一枚。
寒さを凌ぐものは何も身につけてはいなかった。
時折、強風に煽られ身体が大きく揺らぐ。
なぜあんな所に?
何をしているんだ?
寒くはないのか?
いつもは人間に興味が湧く事もない。
しかしその時は何故か、気になって仕方がなかった。
私は、そのまま外に飛び出した。
外は予想した以上に凍えるように寒かった。
私はその少女に近づいた。
ザクザクと歩くたびに聞きなれない音が響く。
少女はその音に気が付き、引きつった表情で私を見ていた。
寒さと恐怖で動けないようだった。
「怖がらせてごめんね。」
少女に始めてかけた言葉は、自分で驚くぐらい優しい声色をしていた。
そしてなぜか、その少女に謝っている事に気付く。
私は何故こんなに、この少女に優しくしているんだろう?
自分の中に分からない感情が流れる。
感情自体ない筈の私に何か変化が起こっていた。
だがこの感覚、嫌ではない。
それよりも、むしろ心地よいものだった。
身体の中から溢れる温かい何か。
これは一体なんだ?
私は無意識に震える少女を自分の大きな温かい服の中に包み込んだ。
途端に匂うこの少女自体の優しい香り。
氷に触れているかのように、冷たく固く丸くした身体。
私はその匂いと少女に触れたい衝動に駆られ、思わず力が入る。
今まで自分から誰かを抱きしめた事などなかった。
ましてや自分の腕の中に入り込ませるなど、ありえない事だった。
だがこの少女はすっと何の隔たりもなく、私の中に入り込んできた。
素直のまま、素顔のままに。
「ここで何をしているの?」
私の腕の中、少女は私を見つめた。
幾分か体温が上がってきた身体。
少し赤身を帯びた顔。
大きな瞳が揺れていた。
「ここの枯れ葉を全部綺麗にしなさいって言われて。」
初めて聞いた少女の声。
ゆっくりとしたリズム。
少し舌足らずのしゃべり方。
少女から奏でる音色のなんと気持ちいい事か。
「また、あいつらの嫌がらせか。」
巫女がくると、こぞって嫌がらせをしていた。
それをいつもは、黙って見るだけだった。
無関心な私の目には何も映ってはいなかったのだ。
しかし今回は何故か、そうは出来なかった。
「部屋に入ろう。
ここはお前にとっては寒すぎるだろう。」
そう言って建物の中に入ろうとする私。
しかし一向に動く気配がない。
「私はいけません。
言いつけが終わるまでは帰れないのです。」
「なぜ?」
「そうしないと、私はまた酷い目に・・・」
良く見ると服から出ている肌には、たくさんの傷の跡が刻まれていた。
それを見た私の心はなぜか酷く胸が苦しくなった。
何なんだこの息苦しさは?
この少女を助けたい。
これ以上傷つけたくない。
私は自分の右腕をその少女から離すと頭上に高々と上げた。
そして次の瞬間一気に降り下ろした。
バーン!
シューッ!!
凄まじい風を切る音が聞こえた。
思わず目を閉じた少女が次に見た景色。
それは枯れ葉もその上に降り積もっていた雪も、全て消え去った風景だった。
何事もなかったかの様な、いつもの風景。
雪さえもが何処かへ消えさっていた。
「これで文句はないだろ。
ここが綺麗に片付けばいいんだろ?」
私は驚いた瞳で見つめる少女に問いかける。
・・・この人は私を助けてくれたんだ
怖い顔してるけど、ほんとは優しい人なんだ・・・
ゆっくりと建物の方へ移動する2人。
少し後ろを歩く彼女。
「ありがとうございます。」
礼の言葉に振り向く。
そこには感謝と共にくれた満身の笑顔があった。
その笑顔を初めて見た私。
自分自身の身体の、急激な熱の上昇に戸惑った。
激しい鼓動が耳にうるさく響く。
その笑顔は今まで生きてきた中で、一番の輝きに見えた。
身体の全てから力が溢れ出す感覚。
生まれて初めて胸が締め付けられるような痛みだった。
感謝の言葉を聞きながら、私は一度離した右手で抱きよせた。
その少女の名はスー。
本当の名前はあるのだが、それは決して明かされる事はない。
命の名前、本当の言の葉で付けられた名前。
それを教える事はその人の命を捧げる事に繋がるのだ。
命の名前で命令されれば、その者を意のままにする事が出来るのだ。
それだけ名前はとても大事な物だった。
スーはあれ以来よく笑うようになった。
相変わらずあいつらからの嫌がらせは続いていたが、いつも私には笑顔を見せてくれた。
その笑顔を見る度に優しく穏やかな、そして熱い思いが心を占める様になった。
愛おしい。
甘い愛情。
独占欲。
激しい愛欲。
束縛。
あの頃愛らしく、私の側で無邪気に甘えていたスー。
あの頃は本当に子供だった。
私の大人の欲望など、白い純粋なままの彼女の前では全て浄化された。
曇りのない笑顔で笑ってくれていた。
くるくる変わる表情が私の心をとらえて離さなかった。
彼女の成長した姿はさぞ美しく光輝き、周りの人を惹きつける事だろう。
感情の起伏をほとんど表に現さない龍族。
私の中に初めて・・・愛しい・・・という感情がある事を彼女は教えてくれた。
人間の様な温かい感情。
ずっと見ていたい。
いや、ずっと側におきたい。
龍王の巫女という絆に、繋がりに、未来をも含んだ束縛に私は感謝していた。
誰にも渡さない。
今も未来も、彼女とともに、ありのままでいたい。
そう望んだ日々。
親子でも友達でも恋人でもない関係。
そんな曖昧な甘い、そして信頼で繋げられた関係。
いつか彼女が大人になって、私を受け入れる日を待つ時間。
とても優しく、切なく、大切な時間。
だが、彼女が十三の誕生日を迎えた日。
彼女はここから無理やり離れる事となる。
これまで顔合わせで何人かの巫女たちがここに来たが、私は全て相手にしなかった。
興味を示さなかった。
しかし彼女にだけは、反応を示した。
自分から彼女を遠ざける事が出来なかった。
したくなかったのだ。
こんなか弱い人間の女に、興味を持ってしまった。
欲しいと思ってしまった。
初めての欲求、執着、独占力。
その頃。
龍王の血を受け継いだ子供の誕生を望んでいた前王の側近。
その勢力を押さえ込む集団。
その力とは違う勢力が現れる。
龍王から気に入られたという、巫女として利用価値。
そして稀にみる濃い巫女と呪術師との間に産まれたスー。
その貴重な血を欲しがるたくさんな強欲な者たち。
今度はその者たちによって、強制的に別れを選択させられた。
翡翠との別れの日。
自分の命の名前。
・・・ひすい・・・
である事を教えてくれた。
その時人に本当の名前を教える事が、命の名前を告げる事がどんなに大事な事かを知った。
相手に教えるという事は、教えた相手から何をされてもいいという意志の表れなんだと。
命を捧げたのと同じ意味なのだと。
その命の名前で命令されれば、どんな事でも従ってしまうのだから。
相手の想いのままになってしまうのだから。
翡翠はそれを承知で、また必ず再会する事の約束として私に教えてくれた。
そして彼女を奪われた日。
私は失った者の存在の大きさを知った。
酷い喪失感。
力の全てを奪われ起き上れない程の衝撃。
あの日の事は決して忘れる事はないだろう。
私にあの時にもっと力があったら、すぐにでも奪いに行けたというのに。
この面倒な龍王という地位。
名ばかりの肩書き。
あの時それに見合う強い力がなかったばかりに。
何度自分の無力差に悔しい思いをしたことか。
力がものをいう世界。
強い者が勝者であり、弱い者はそれに従うしかない現実。
その現実に何度も打ちのめされる。
無力な私は何度となく、他の龍たちと闘い敗北する。
普通ならすぐに勝った龍が龍王の地位にとって変わるのだが。
その頃まだ病気で王座を退いたとはいえ、父は健在だった。
その為、あからさまな動きは表面には現れなかった。
強制的に離ればなれにされた彼女。
私は彼女を人質にされる形となってしまった。
自分たちの言う事を聞かないと彼女の身がどうなるかと。
私はその時、自分が誰よりも強くなる事を誓った。
そして初めてはっきりとした自分の意思を持つ。
私は彼女を諦めない。
そして自ら行動を起こした。
何度倒れても脅されても、決して屈しない意志。
変わる事のない意志がそこにはあった。
どんなに傷ついても、想いは彼女と過ごした時間。
そしてあの笑顔だった。
どうしてももう一度我が手に。
この腕の中に取り戻したいと言う願望。
切望が私を戦いへと駆り立てた。
そんなある時、孤高の龍に出会った。
誰にも従わず、誰も従わせずただひたすら孤独を好む龍。
黒龍。
今の龍の中で一番高齢な龍。
闇の中に存在するらしい。
生と死を司ざるもの冥王とも言われている。
黒龍は私をいつも面白がる龍だった。
かなりの高齢の龍だったが、これまでの戦いにおいての経験と勘。
そしてそれに裏付けられた強さとスピード。
どれもその頃の自分には欲しくてたまらない強さだった。
他の龍たちに力で負け、彼女を奪われたばかりで気力と深い傷を負った私。
その龍は、その傷付いた私をなぜか自分の仮の住処に運び手当をしてくれた。
傷は良くなった後も、膨大な力を欲しがる私を鍛えてくれた。
私は黒龍の助けによって急激に力をつけていった。
体力の気力の全てを出し切る度に増大し、成長を続ける力。
戦い傷つき、疲れ果て眠る度に私の力は膨らみ続けた。
「お前の力はどこまで強くなるんだろうなぁ。
限界を感じない強さを見たのは初めてだ。
お前は面白いやつだ。
実に面白い。」
黒龍はいつもそう言って、さも面白そうに笑っていた。
そして私が本当に龍王としての力と地位を手に入れた頃。
興味を失くしたのか急に姿を消してしまった。
黒龍に会っていなければ、今のこの力を手に入れる事は出来なかっただろう。
なぜあの時私を助けたのか?
それは今でも分からない。
理由はどうであれ、この出逢いによって私の願いは叶えられた。
気まぐれな黒龍の事、またいつか会える日がくるだろう。
今はその再会を待つとしよう。
黒龍、
白龍、
赤龍、
そしてそれらの頂点にたつ龍王。
誰からも畏れられ、
絶対的な力と存在感で龍の国の統べる者。
孤独な龍王の望みはただ1つ。
たった1人の女の子の笑顔だった。
ここは私が統べる龍族が住む国。
青龍、黒龍、白龍、赤龍、そしてそれらの頂点に龍王。
私は龍王貴族の直系。
産まれながらにして龍王になるべき地位にいた存在だった。
しかしそれは、自分自身が望んだ物ではなかった。
前王が病気になり私が後を継いだ。
ただそれだけの事だった。
力の強さがものをいう龍の世界。
私は疎まれた、ただの龍王という名の人形だった。
周りには前王の側近たちが取り巻く。
だがその者たちも思惑の中にいた。
あの頃の私は、力も意志もなにもない。
ただ親の力だけで生きながらえていた。
・・・お前なんか、前王がいなければただ虫けら同然だ・・・
・・・そうだ、お飾りだけの龍王・・・
そう囁かれる日々。
父や父の側近は他の龍に危害を加えられようとも、助ける事はなかった。
命に別状がなければ、それでいい。
その程度。
反対に私が抵抗出来ない程弱い方が好都合のようだ。
私は死なない程度に生かされていた。
そして前王も思惑の中にいた。
自分の長い間の立ち位置が覆るのが嫌だった。
たくさんの龍の上にたち、見下す地位。
この場所を手放すのが嫌だったのだ。
だから、自分の子どもに地位を譲った。
現王の父という、上の立場のまま君臨する為に。
そう、自分の私利私欲の為だけに私は利用された。
父と子の間に愛はない。
利用価値があるだけの存在。
愛情という言葉はそこには無用なもの。
ある日宮殿に一人の巫女が連れて来られた。
巫女の顔合わせという事で何も知らず、人間界から連れて来られた少女。
しばらくの間、宮殿で暮らす事になった。
前にも何人もの巫女という人間が連れて来られていた。
・・・またか・・・
前王の側近たちも今の地位に固執していた。
強い遺伝子を持つ私の子の後継人。
父が亡くなった後を見越しての行動だった。
どうやっても、そいつらは早く子供が欲しいらしい。
私の龍王として血を持った、次の龍王の誕生がお望みらしい。
私は本当にこいつらの人形だな。
人間を蔑みの目で見ていた取り巻きたち。
その少女にも、いつものように酷い態度で扱った。
それは寒い日の事だった。
私は何気なく窓の外を見た。
空からチラチラと降り始めた物。
雪か・・・。
外の風景はすでに、白一色に染まり始めていた。
ゆっくりと外の変わり行く景色を見ていた私。
その雪の中に何か動く物に目が止まる。
それは人だった。
雪の降る中、箒で雪で湿った枯れ葉を掃く姿。
小さい少女は、吹きすさぶ木枯らしの中にいた。
身体には薄い服一枚。
寒さを凌ぐものは何も身につけてはいなかった。
時折、強風に煽られ身体が大きく揺らぐ。
なぜあんな所に?
何をしているんだ?
寒くはないのか?
いつもは人間に興味が湧く事もない。
しかしその時は何故か、気になって仕方がなかった。
私は、そのまま外に飛び出した。
外は予想した以上に凍えるように寒かった。
私はその少女に近づいた。
ザクザクと歩くたびに聞きなれない音が響く。
少女はその音に気が付き、引きつった表情で私を見ていた。
寒さと恐怖で動けないようだった。
「怖がらせてごめんね。」
少女に始めてかけた言葉は、自分で驚くぐらい優しい声色をしていた。
そしてなぜか、その少女に謝っている事に気付く。
私は何故こんなに、この少女に優しくしているんだろう?
自分の中に分からない感情が流れる。
感情自体ない筈の私に何か変化が起こっていた。
だがこの感覚、嫌ではない。
それよりも、むしろ心地よいものだった。
身体の中から溢れる温かい何か。
これは一体なんだ?
私は無意識に震える少女を自分の大きな温かい服の中に包み込んだ。
途端に匂うこの少女自体の優しい香り。
氷に触れているかのように、冷たく固く丸くした身体。
私はその匂いと少女に触れたい衝動に駆られ、思わず力が入る。
今まで自分から誰かを抱きしめた事などなかった。
ましてや自分の腕の中に入り込ませるなど、ありえない事だった。
だがこの少女はすっと何の隔たりもなく、私の中に入り込んできた。
素直のまま、素顔のままに。
「ここで何をしているの?」
私の腕の中、少女は私を見つめた。
幾分か体温が上がってきた身体。
少し赤身を帯びた顔。
大きな瞳が揺れていた。
「ここの枯れ葉を全部綺麗にしなさいって言われて。」
初めて聞いた少女の声。
ゆっくりとしたリズム。
少し舌足らずのしゃべり方。
少女から奏でる音色のなんと気持ちいい事か。
「また、あいつらの嫌がらせか。」
巫女がくると、こぞって嫌がらせをしていた。
それをいつもは、黙って見るだけだった。
無関心な私の目には何も映ってはいなかったのだ。
しかし今回は何故か、そうは出来なかった。
「部屋に入ろう。
ここはお前にとっては寒すぎるだろう。」
そう言って建物の中に入ろうとする私。
しかし一向に動く気配がない。
「私はいけません。
言いつけが終わるまでは帰れないのです。」
「なぜ?」
「そうしないと、私はまた酷い目に・・・」
良く見ると服から出ている肌には、たくさんの傷の跡が刻まれていた。
それを見た私の心はなぜか酷く胸が苦しくなった。
何なんだこの息苦しさは?
この少女を助けたい。
これ以上傷つけたくない。
私は自分の右腕をその少女から離すと頭上に高々と上げた。
そして次の瞬間一気に降り下ろした。
バーン!
シューッ!!
凄まじい風を切る音が聞こえた。
思わず目を閉じた少女が次に見た景色。
それは枯れ葉もその上に降り積もっていた雪も、全て消え去った風景だった。
何事もなかったかの様な、いつもの風景。
雪さえもが何処かへ消えさっていた。
「これで文句はないだろ。
ここが綺麗に片付けばいいんだろ?」
私は驚いた瞳で見つめる少女に問いかける。
・・・この人は私を助けてくれたんだ
怖い顔してるけど、ほんとは優しい人なんだ・・・
ゆっくりと建物の方へ移動する2人。
少し後ろを歩く彼女。
「ありがとうございます。」
礼の言葉に振り向く。
そこには感謝と共にくれた満身の笑顔があった。
その笑顔を初めて見た私。
自分自身の身体の、急激な熱の上昇に戸惑った。
激しい鼓動が耳にうるさく響く。
その笑顔は今まで生きてきた中で、一番の輝きに見えた。
身体の全てから力が溢れ出す感覚。
生まれて初めて胸が締め付けられるような痛みだった。
感謝の言葉を聞きながら、私は一度離した右手で抱きよせた。
その少女の名はスー。
本当の名前はあるのだが、それは決して明かされる事はない。
命の名前、本当の言の葉で付けられた名前。
それを教える事はその人の命を捧げる事に繋がるのだ。
命の名前で命令されれば、その者を意のままにする事が出来るのだ。
それだけ名前はとても大事な物だった。
スーはあれ以来よく笑うようになった。
相変わらずあいつらからの嫌がらせは続いていたが、いつも私には笑顔を見せてくれた。
その笑顔を見る度に優しく穏やかな、そして熱い思いが心を占める様になった。
愛おしい。
甘い愛情。
独占欲。
激しい愛欲。
束縛。
あの頃愛らしく、私の側で無邪気に甘えていたスー。
あの頃は本当に子供だった。
私の大人の欲望など、白い純粋なままの彼女の前では全て浄化された。
曇りのない笑顔で笑ってくれていた。
くるくる変わる表情が私の心をとらえて離さなかった。
彼女の成長した姿はさぞ美しく光輝き、周りの人を惹きつける事だろう。
感情の起伏をほとんど表に現さない龍族。
私の中に初めて・・・愛しい・・・という感情がある事を彼女は教えてくれた。
人間の様な温かい感情。
ずっと見ていたい。
いや、ずっと側におきたい。
龍王の巫女という絆に、繋がりに、未来をも含んだ束縛に私は感謝していた。
誰にも渡さない。
今も未来も、彼女とともに、ありのままでいたい。
そう望んだ日々。
親子でも友達でも恋人でもない関係。
そんな曖昧な甘い、そして信頼で繋げられた関係。
いつか彼女が大人になって、私を受け入れる日を待つ時間。
とても優しく、切なく、大切な時間。
だが、彼女が十三の誕生日を迎えた日。
彼女はここから無理やり離れる事となる。
これまで顔合わせで何人かの巫女たちがここに来たが、私は全て相手にしなかった。
興味を示さなかった。
しかし彼女にだけは、反応を示した。
自分から彼女を遠ざける事が出来なかった。
したくなかったのだ。
こんなか弱い人間の女に、興味を持ってしまった。
欲しいと思ってしまった。
初めての欲求、執着、独占力。
その頃。
龍王の血を受け継いだ子供の誕生を望んでいた前王の側近。
その勢力を押さえ込む集団。
その力とは違う勢力が現れる。
龍王から気に入られたという、巫女として利用価値。
そして稀にみる濃い巫女と呪術師との間に産まれたスー。
その貴重な血を欲しがるたくさんな強欲な者たち。
今度はその者たちによって、強制的に別れを選択させられた。
翡翠との別れの日。
自分の命の名前。
・・・ひすい・・・
である事を教えてくれた。
その時人に本当の名前を教える事が、命の名前を告げる事がどんなに大事な事かを知った。
相手に教えるという事は、教えた相手から何をされてもいいという意志の表れなんだと。
命を捧げたのと同じ意味なのだと。
その命の名前で命令されれば、どんな事でも従ってしまうのだから。
相手の想いのままになってしまうのだから。
翡翠はそれを承知で、また必ず再会する事の約束として私に教えてくれた。
そして彼女を奪われた日。
私は失った者の存在の大きさを知った。
酷い喪失感。
力の全てを奪われ起き上れない程の衝撃。
あの日の事は決して忘れる事はないだろう。
私にあの時にもっと力があったら、すぐにでも奪いに行けたというのに。
この面倒な龍王という地位。
名ばかりの肩書き。
あの時それに見合う強い力がなかったばかりに。
何度自分の無力差に悔しい思いをしたことか。
力がものをいう世界。
強い者が勝者であり、弱い者はそれに従うしかない現実。
その現実に何度も打ちのめされる。
無力な私は何度となく、他の龍たちと闘い敗北する。
普通ならすぐに勝った龍が龍王の地位にとって変わるのだが。
その頃まだ病気で王座を退いたとはいえ、父は健在だった。
その為、あからさまな動きは表面には現れなかった。
強制的に離ればなれにされた彼女。
私は彼女を人質にされる形となってしまった。
自分たちの言う事を聞かないと彼女の身がどうなるかと。
私はその時、自分が誰よりも強くなる事を誓った。
そして初めてはっきりとした自分の意思を持つ。
私は彼女を諦めない。
そして自ら行動を起こした。
何度倒れても脅されても、決して屈しない意志。
変わる事のない意志がそこにはあった。
どんなに傷ついても、想いは彼女と過ごした時間。
そしてあの笑顔だった。
どうしてももう一度我が手に。
この腕の中に取り戻したいと言う願望。
切望が私を戦いへと駆り立てた。
そんなある時、孤高の龍に出会った。
誰にも従わず、誰も従わせずただひたすら孤独を好む龍。
黒龍。
今の龍の中で一番高齢な龍。
闇の中に存在するらしい。
生と死を司ざるもの冥王とも言われている。
黒龍は私をいつも面白がる龍だった。
かなりの高齢の龍だったが、これまでの戦いにおいての経験と勘。
そしてそれに裏付けられた強さとスピード。
どれもその頃の自分には欲しくてたまらない強さだった。
他の龍たちに力で負け、彼女を奪われたばかりで気力と深い傷を負った私。
その龍は、その傷付いた私をなぜか自分の仮の住処に運び手当をしてくれた。
傷は良くなった後も、膨大な力を欲しがる私を鍛えてくれた。
私は黒龍の助けによって急激に力をつけていった。
体力の気力の全てを出し切る度に増大し、成長を続ける力。
戦い傷つき、疲れ果て眠る度に私の力は膨らみ続けた。
「お前の力はどこまで強くなるんだろうなぁ。
限界を感じない強さを見たのは初めてだ。
お前は面白いやつだ。
実に面白い。」
黒龍はいつもそう言って、さも面白そうに笑っていた。
そして私が本当に龍王としての力と地位を手に入れた頃。
興味を失くしたのか急に姿を消してしまった。
黒龍に会っていなければ、今のこの力を手に入れる事は出来なかっただろう。
なぜあの時私を助けたのか?
それは今でも分からない。
理由はどうであれ、この出逢いによって私の願いは叶えられた。
気まぐれな黒龍の事、またいつか会える日がくるだろう。
今はその再会を待つとしよう。
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