龍神愛詞
8・優しい時間
城に戻った龍王と翡翠。
それになぜだか蒼龍と紅龍まで付いてきた。
2人の目的は同じく翡翠の事のようだった。
蒼龍は異性としての特別な感情。
紅龍は理想の強さに惹かれていた。
龍王の機嫌はすこぶる悪かった。
ニ人はほとんどの時間を、翡翠の寝ている部屋で過ごしていたからだ。
身体を動かす事の出来ないスーを、公務でいない間ニ人は看病していた。
翡翠の警護の事を考えれば、ニ人の強さは申し分のない事。
だが龍王には面白くなかった。

あれから何度か目を開けては、弱々しい笑顔を向けてくれた。
心配かけまいとしているのだろう。
その気遣いが堪らなく愛おしい。
私がつけた傷は思いのほか深いものだった。
その為、高熱を出し、幾日もそれは続いた。
龍王は公務が終わるとすぐに帰ってきて看病した。
そして甲斐甲斐しく翡翠の世話を焼く。
そして何度も何度も謝った。
謝るという行動。
自分の否を認める行為。
こんな事をするのは始めての事だった。
きっとあの龍王に、頭を下げさせる人間は翡翠ぐらいだろう。

翡翠はその度、首を横に振った。
「もう自分を責めないで、ね、お願い。」
高熱で呼吸が荒い。
そして真っ赤な顔。
苦しい息の中、優しい言葉を紡ぐ。
私は優しく頭を撫でた。
触れた場所から、まだかなり熱が高い事がわかる。
これ以上、気を使わせたくはない。
「分かった。」
私は翡翠の熱った小さな手を、包み込むように握りしめた。
「ありがとう。」
そう言うとその言葉に安心したのか、また眠ってしまった。
翡翠は私の後悔という感情を、そのまま包んで癒してくれた。

一週間ほどするとやっと翡翠の熱が下がり始めた。
意識がはっきりしてきたある日。
紅龍と二人の時間。
別人のように優しい表情をみせる紅龍に翡翠は戸惑っていた。
そんな翡翠に紅龍は、今までの事を聞かせた。
本当の強さについて。
その為にやってきた事実を。
自分のしてきた事全てを包み隠さず話した。
「俺は産まれた時から強いものに憧れ続けてきた。
その為にはお前からしたら、惨忍で冷酷な事を数えられないほどやってきた。
これから先もその気持ちは変える事はない。」
翡翠の父親を利用し、龍王の力を引き出そうとした。
自分の都合で傷つけた事実は重くのしかかる。
俯きじっと話しを聞く姿の翡翠。
震える肩。
泣いているように見える。

その時一滴の水滴が、落ちる
それを見た瞬間。
今まで感じた事のない感情が押し寄せる。
それは後悔という感情。
今までの自分がしてきた事に対しての。
そして、一番深い後悔。
それは翡翠を直接ではないにしろ、傷つけてしまった事。
「すまない事をした。」
紅龍から自然と出てくる謝罪の言葉。
その言葉に反応して顔を上げる。
その目からニ粒目の水滴が溢れる。
「もういいです。
本当の事話してくれて・・・あの・。
それに謝ってくれましたから。
人に謝るのは勇気のいる事だと思うから・・だから。
もう、自分を責めないでください。」
赤い目のまま弱々しくも笑ってくれた翡翠。
人を許す事の出来る強さ。
あれだけ酷い目にあったというのに。
恨まれても仕方のない事をしたというのに。
翡翠はそれを許してくれると言った。
紅龍は興味以上の感情が芽生えるのを感じた。
そしてそれは恋するという思い。
また一つ新しい感情の誕生。
それは心の芯が熱くなる感覚。

今日も翡翠の部屋には蒼龍と紅龍の姿があった。
「いい加減に帰ったらどうだ?」
龍王は2人に向かって言った。
「私はスーの本当の笑顔を見るまで、帰るつもりはありません。」
力強い口調、蒼龍の気持ちが伝わってくる。
「俺はスーに興味があるから、帰るつもりはない。
それに俺たちが帰ったら、龍王の仕事の間は誰がスーを守るんだ?」
偉そうに反論してくるが、その言葉に押し黙る。
確かに今の状況、病気の翡翠を連れ回すわけにはいかない。
だが一人にしておくのは危険すぎる。
仕方がないが翡翠が回復するまではこのままの方が良さそうだ。
だが・・・気に食わない。
ニ人の返答に龍王は眉をしかめる。

三人が話している中、目を覚ます翡翠。
張り詰めた空気。
不機嫌な龍王の気が部屋の中を覆い尽くしていた。
「龍王、そんな怖い顔してどうしたの?」
翡翠の優しい声。
その一言で穏やかで優しい空気に変わる。
そしてみんな一瞬で笑顔になる。
みんな翡翠に近づいた。
「なんでもないよ。」
龍王は安心させるように手を握る。
「龍王はスーを独り占め出来ないのが気にくわないみたい。」
そこにすかさず蒼龍が言う。
「そんな心の狭いやつはほっとけばいい。」
と、紅龍も牽制する。

言葉は荒いが本当に言い合っている訳ではない。
なぜか温かい感情になるのはなぜだろう。
本当に怒っているなら、ニ人共ただでは済まないだろう。
冷酷で非情な龍王。
他に何も関心を示さない。
無表情な顔で刃向うものには容赦はない。
そんな噂を聞いていた。
それがどうだろう。
今俺の前にいる龍王は別人のように思われた。
この優しい表情。
翡翠の前では人間に程遠いものの、感情が分かりやすい。

蒼龍は思っていた。
まだ本当に龍王を信じたわけではない。
だが龍王スーに向ける表情や、言葉使い、態度。
どれをとっても本当に大切にしている事が伝わってくる。
そして何よりスーがそれを受け入れている。
それは嬉しい事であり、又寂しい事でもあった。
だがスーの幸せを守る。
どんな事があっても、その笑顔だけは。
この先このスーへの想いが通じなくとも、この決意がぶれる事はない。

紅龍は今まで感じた事のない感情に戸惑っていた。
今まで強い力に魅入られてきた。
自分以外の者を排除する力。
強い力こそが俺が追い求めるもの。
物心ついた頃から、戦いの中にいて己の強さのみで生きてきた。
それが全てであり、それ以外を知らなかった。
しかしあの時、龍王を助けようとするスーの姿を見て愕然とした。
小さな身体、人間という儚き人種、弱気もの。
どれを考えても強さに比例するものはなかった。
しかしあの姿を見たとき、今までに感じた事のない大きな本当の強さを感じた。
これこそが、追い求めてきた本当の強さ。
力の強さではない、心の魂の強さ。
スーの中に俺の求める強さを見た。
それはスー自身への興味に通じていた。
この気持ちの名前を紅龍はまだ知らない。

ゆっくりと流れる時間、空間。
スーは随分と元気を取り戻していた。
しかしまだ連れまわすまでは回復していない翡翠。
部屋に残して仕事部屋へと歩く。
翡翠の温もりを側に感じない虚無感。
なくてはならない存在である事を実感する。
少し前なら、翡翠がどんな状態だろうが離れる事はしなかっただろう。
しかし今はあのニ人がいる。
あのニ人は翡翠を絶対に傷つけたりはしないだろう。
なぜかそれだけは信頼できた。

穏やかな昼さがり。
昼食を終えたみんなは、翡翠の部屋でくつろいでいた。
「身体はもうすっかりいいの?」
「うん。
蒼龍も紅龍も龍王もたくさん心配かけてごめんね。
私はもう大丈夫だよ。」
蒼龍の問いに笑顔で答える翡翠。
その笑顔を見て三人は照れ隠しに下を向く。
この笑顔だ。
見たくて見たくて仕方がなかったもの。
それが今日も目の前で見れた。
手を伸ばせば触れる事の出来る距離。

・・・他のニ人に見せるのは勿体無い・・・
・・・まあ私のいない間、寂しい思いをさせずにすんだ・・・
・・・仕方がない・・・
・・・今日だけは、いい思いをさせてやろう・・・
そしてこの時間が心地良いものだと思えていた。

翡翠と紅龍と蒼龍。
この者たちといるこの時間、空間。
これほど長く翡翠の他に、身近に関わってくる者は久しくいなかった。
翡翠を自分の下へ戻す為、手にいれたこの破壊的な力。
余りにも持ちすぎた強力な力のため、容易く近寄る者などいなかった。
それを寂しいとは思った事もないが、ただ話す者もいない孤独感は感じていた。
孤独は嫌なものだという感情。
これも翡翠が教えてくれた感情。
翡翠が連れ去られ、戻るまでの時間。
孤独は冷たく嫌なもの。
翡翠がいない時間が、孤独というものを不快なものだと認識させた。
そして翡翠が戻った今、他の龍たちが近くにいる。
孤独ではないという実感。
それだけでなぜか心は明るく、温かく感じた。
これも翡翠が連れてきてれた感情。
翡翠がいなければ、ここに蒼龍も紅龍もいなかったのだから。

腹を探り合う貴族たち。
隙を見せればいつ寝返るか分からない。
地位を力を狙おうとする貴族たち。
今は巨大な力故に反論、反抗しない、そうまでして守りたい者。
少し前は全く自分の位など、地位など全く興味がなかった私。
その私が今までの考えを覆してまでも、欲しかった者。
翡翠はそんな、だれにも変わる事の出来ない存在。
かけがえのない存在だった。
私が力を失くした時、翡翠はまた違う者の下へ連れ去られる事だろう。
そんな事は絶対にさせない。
翡翠は誰にも渡さない。

今日もくだらない会議が終わり翡翠のいる部屋に戻ってきた。
ドアを開けると同時に聞こえる優しい声。
「おかえりなさい。」
私はその声で一瞬で気分が浮上する。
「ただいま。」
そう答えると、いつもの様にすっぽりと翡翠を腕の中に納める。
翡翠の体温、匂い、柔らかさ、どれもが私に癒しを与えてくれるもの。
腕を緩めると恥ずかしそうに笑う翡翠。
そしていつもの様に甘い口づけをする。
身体を気を使いながら、本当に優しく唇に触れる。

このうえなく心地よく、安らかで優しい時間。
愛に包まれた幸せな時間。
こんな時間が永く続く事はない事は分かっている。
人間である翡翠と龍である私では時間の流れが違う事。
いつかは別れがくる事は分かっている。
それならばその時までは、共に同じ時間を歩んで行きたい。
同じ時間を刻んでいきたい。
この時間を何よりも大切にしていきたいと思う。
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