花とバスケと浴衣と
2限目が終わり、千花は急いでB棟へ向かった。学食前のベンチに足を組んで座り、スマホを見ていた類先輩はやはりカッコよくて、人目を集めていた。なんか声かけるの勇気がいるな…と思いながら、千花は類先輩に近づき声をかけた。
「類先輩、すみません、お待たせしてしまって。」
「千花ちゃん、全然大丈夫。じゃぁ行こうか。」
類先輩は笑顔で立ち上がると、リュックを背負って歩き出した。やっぱりカッコイイなと思いながら、千花は少し後を歩いた。沈黙のまま人の多い学食前を抜けて、研究棟へと入り、階段を上がった。千花は研究棟に入ったのは初めてだった。外気が遮断され、少し冷やっとした空気の中、どんどん奥へと進んでいく類先輩の後を追った。一つの扉の前で止まると、類先輩は振り返って言った。
「ココだよ。」
ドアの横に「AMAMIYA Rei」という表札がかかっていた。千花が頷いてノックをすると、
中からどうぞという声が聞こえた。ドアを開けて中に入ると、前面とサイドに天井まで届く高い本棚が並び、すごい圧迫感だった。入り口らしきところには暖簾がかけてあって、類先輩は迷うこと無く、ソコから入っていった。千花は
「失礼します。」
と声をかけて暖簾をくぐると、奥には和箪笥があり、その下には研究室に似つかわしくない畳が二畳置いてあった。手前側のデスクに座っていた雨宮准教授は千花を見遣ると言った。
「いらっしゃい。あ、類も来たんだ。」
「あんたが連れてこいって言ったんだろうが…」
相変わらず呆れモードの類先輩に、申し訳ない気持ちになっていると、類先輩は靴を脱いで畳に座り込み、和箪笥の横から小さな折りたたみ式のテーブルを出した。千花が驚いていると、
「あなたもそっちに座ってて、今お茶入れるから。」
と准教授は微笑んで類先輩の方を指した。千花は戸惑いながらも、靴を脱ぎ、鞄からハンカチを出して畳に敷き、その上に鞄を置いて類先輩の横に正座した。類先輩はリュックからパン屋の袋を出して、
「千花ちゃん次も授業でしょ?話し終わってから学食行ってる時間無いと思うから、今の間にこれ食べとこう。」
「え?でも…」
「あら、次も授業なの?ごめんなさい。大事な昼食の時間に。ココで食べていって。」
戸惑う千花を他所に、類先輩はパン屋の袋から、サンドイッチのパックと、大きなコロッケパンを出した。
「どっちが良い?」
「どっちでもいいです。」
「じゃあオレこっち。」
とコロッケパンを開けて、類先輩はがぶりと食べ始めた。千花は渡されたサンドイッチのパックを開けて、
「すみません。いただきます。」
と、サンドイッチを食べ始めた。キョロキョロと決して広いとは言えない研究室内を見渡しながら、なんだろうこの状況…と千花は思った。日本庭園関係の本が一箇所に多く纏められ、日本の祭りというシリーズの本や、着物、和裁関係の本が多々、茶道、華道の本もいくつかあり、日本語教育に関する本が片側の本棚の多くを占めていた。日本文化専攻准教授って名刺には書いてあったな…と思いながら、千花は不思議な空間を見渡した。日本人形や、こけし、折り紙なども飾ってある。和な空間だが、研究室らしく雑多な感じが否めない。お茶のいい香りがしてきたと思うと、雨宮准教授がお茶を運んできた。
「狭いところでごめんなさいね。」
「いえ、お言葉に甘えて、食事頂いています。」
千花が頭を下げると、雨宮准教授は綺麗に笑って言った。
「お名前伺っていいかしら?」
「あ、すみません。地域研究科1回の牧野千花です。」
「どんな漢字?」
雨宮准教授から紙とペンを渡されて、受け取ろうとすると
「今食事中。」
冷たい声で類先輩が呟いた。
「ごめんなさい。食事の後で漢字はかまわないわ。」
雨宮准教授は申し訳なさそうに言いながら、紙とペンをテーブルに置いた。千花は居た堪れない気持ちになりながら急いでサンドイッチを食べた。
「千花ちゃんが急ぐ必要はないよ。」
目聡く急いでいるのが見つかってしまったようで、類先輩が呟いた。千花が恐る恐る類先輩に視線をずらすと、
「そんなに怯えないでよ。」
と笑われた。それでも急いで千花は食べ終わって、
「ごちそうさまでした」
と手を合わせると、タオルで手を拭いてから、ペンを持って名前を書いた。お茶を飲みながら待っていた雨宮准教授は言った。
「千の花なのね。素敵な名前。それに、字も綺麗ね。」
「ありがとうございます。」
千花が首を振りながら頭を下げると、雨宮准教授は綺麗に笑った。
「見せたいものがあったんじゃないの?」
類先輩の言葉に、雨宮准教授はデスクからタブレットを持ってきて、千花に見えるように置いて、動画を再生させた。何かの御祝いパーティーらしく、外国人がたくさん写っている。白人の年配の男性に、和装をした雨宮准教授が千花の作った花束を渡している。男性はとても喜んだ様子で、花束を受け取り、色んな角度から花束を眺めて紫のマムを触っていた。何か千花には聞き取れない言葉を交わして、男性は雨宮准教授を抱き寄せてハグし、両頬に4回キスをした。その後も男性は花束を大事そうに抱えたまま、他の人たちからの御祝いを受けていて、花束は確かにその男性の雰囲気によく似合っていた。
「彼、セバスチャンっていうカナダ人なんだけど、日本が大好きなの。彼の論文が完成した御祝いのパーティーに呼ばれていたから、お花屋さんでお花でもと思ってあなたのお店に行ったのよ。そしたら、男の人に渡しても違和感がない素敵なミニブーケが並んでいて、もう少し大きめでと思ってお願いしたら、私が思っていたよりも素敵な和のブーケにしてくれて、彼、本当にすごく喜んでくれたわ。どうしてもあのブーケを作ってくれたあなたに彼に渡した所を見てもらいたくて。」
「ありがとうございます。こんなに喜んで頂けて、私も嬉しいです。」
「店員さんだと思っていたらバイトだって聞いて驚いたわ。お花屋さんに勤めてもう長いの?」
「いえ、推薦で大学が決まってからなので、去年の11月くらいからです。」
「まぁ、だとしたら、すごい天性の持ち主なのね。」
「いえ、そんなことないです。高校時代に華道部に所属していたので、たまたまです。」
「まぁ。そうなの!?」
とても興奮した様子の雨宮准教授に驚きながら、千花が曖昧に頷くと、
「今度見せてくれない?あなたの生け花。」
「え?今はもうほとんど生け花はやっていないんです。」
「でも、やっていたんでしょ?高校の時。」
「はい。一応。」
「あなたの作品が見てみたいの。お願い。」
「高校の時の部活の写真ならスマホにありますけど…。」
「見たい!見せて!」
どんどんテンションが上がる雨宮准教授の勢いに押されながら、千花はスマホを取り出して、写真のお花のフォルダーを開き、雨宮准教授に断って手渡した。
「全部が私が生けた物というわけではないですけど…。」
写真を一枚一枚スクロールしながら真剣な表情で眺める雨宮准教授に、すこし恥ずかしようなこそばゆいような感覚を覚えながら、類先輩を見ると、呆れた顔で雨宮准教授を見ている。千花の視線に気づいた類先輩はフッと笑って言った。
「後でオレにも見せて。」
「え?」
「千花ちゃんの花、オレも見てみたい。」
「良いですけど、全然大したこと無いですよ。」
「大したことあるわよ!!これ、草月流とは違うわね?」
突然大きな声で雨宮准教授が叫ぶので、千花はビクッとなった。類先輩は顔を顰めて言った。
「突然デカイ声出すなよ、千花ちゃんがビビってるじゃねーか。」
「ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃって。だって、このお花、素敵なんだもの。何流?」
「松月堂古流です。」
「これが松月堂古流なのね。これもあなたが生けたの?」
文化祭の時の二重花器のお生花の写真を見せられ、千花が頷くと、
「すごいわ。これはさすがに違うわよね?」
卒業式の演台横の花の写真を見せられた。
「一応部長だったんで、私が生けました。三高の卒業式は毎年華道部の部長が生けることに決まっていて…大変でしたけど、良い経験をさせてもらいました。」
「まぁ!本当に?今年の日本語弁論大会の会場の花、千花さんに生けてもらえないかしら?」
「え?」
「お花はこちらからお宅のお花屋さんに注文するわ。」
「いや、でも…。そういうのは本来大学の華道サークルに依頼されたりするものじゃないんですか?」
「ううん。華道サークルは細々と自分たちの趣味でやってるだけみたいな所があるから、こういった花はやっていなくて、いつもどこかのお花屋さんに依頼してたの。」
「そうなんですか?」
「大丈夫、お花屋さんを変えるだけだから問題ないわ。」
「本当に私みたいな素人が生けても良いんですか?」
「全然大丈夫よ。お願い。」
「はぁ…先生と店長がそれで良いなら。」
「やったー。ありがとう。10月だからまだ少し先だけど楽しみだわ。」
嬉しそうに笑う雨宮准教授に、本当に良いのだろうか?と一抹の不安を抱えながら、千花は了承した。また高校の時の先生に会いに行こうと、千花は思った。
「ところで、千花さん、地域研究学科って言ってたけど、専攻はもう決めてるの?」
「いえ、まだです。何がやりたいっていうのが特にないまま推薦で大学が決まってしまって、海外に興味が無いわけじゃないんですけど、特にココっていうのはまだ無くて、来期からの希望を出さなきゃいけないんで迷っていたんです。」
「それで昨日図書館にいたのか。」
類先輩の言葉に頷くと、雨宮准教授は、目をキラキラさせて言った。
「日本文化はどう?あなたは既にこんな武器を持ってるんだもの。日本語教育とかには興味ない?」
「日本語教育ですか?」
「外国人に日本語を教えるの。日本でも出来るし、海外のどこでも出来るわ。」
「考えたことありませんでした。」
「千花ちゃん、ゆっくり考えなよ。この人の勢いに流されちゃいけない。」
「類!」
「ありがとうございます。何か今まで、何処か地域を決めなきゃってそればっかり思って焦っていたんで。ちょっと自分で調べて考えてみます。日本語教育のこととか何も知らないから。」
「私がいつでも相談にのるわよ。」
「頼もしいです。ありがとうございます。」
千花が頭を下げると、雨宮准教授は
「それにしても、信じられないわ。類の新しい彼女がこんな素敵な子だなんて。」
「だから彼女じゃないって。」
「いいわよ、今更照れなくても。」
「いや、本当に違うんです。」
「えーそうなの?残念。お母さん千花さんだったら大賛成だけど。」
「急に母親ヅラすんなよ。」
「えっ?母親?」
あまりに驚いて千花が固まると、雨宮准教授は言った。
「あら?類、まだ言ってなかったの?」
「身内とは言った。」
思わず、千花は、
「お姉さんとかじゃなくて?」
「やだー、千花さんったら。嬉しいこと言ってくれるわー。」
「図々しい。年齢考えろ。」
「酷い息子だわ。ホントに。」
「先生随分お若い時にご出産されたんですね。」
「そうなの。学生結婚だったのよ。」
「デキ婚だろ。」
「もう、類ったら…。20歳の時に類を出産したの。2年休学して、また大学に戻ったわ。」
「すごいですね。」
「お陰でオレは放ったらかし。ま、ばあちゃんがちゃんと育ててくれたから良かったけど。」
「そうだったんですか…。通りで顔のパーツが。」
「似てるでしょ?類は嫌がるんだけどねー。」
「あ、でも、名前…。」
「あぁ、ややこしい話なんだけど、オレがばあちゃんの所に養子に入ったんだ。」
「主人の母親が草下姓だったんだけど、お互いに一人っ子一人っ子で草下の姓を名乗る人がいなくってね。義父と義母はずっと類に草下姓をって考えてたみたいで。義父がなくなった時の遺言でね、類が高校を出たら、義母の養子として草下家に迎え入れてほしいって。雨宮姓は、主人の兄弟のところで続いていくからって。勝手な話でしょ?」
「まぁお陰でオレは、あんまり親子関係が露呈されなくて助かってるし、草下の方が気に入ってる。」
「そうなんですか…。」
親子という衝撃の事実を千花はまだ信じられない気持ちだった。どうみても、雨宮准教授が、成人の息子がいる母親には見えない。見た目もスタイルも、まだまだ30代くらいだと思っていた。

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