花とバスケと浴衣と
地域研究学科は、1年の後期から専門地域をいくつか選択し、それぞれに見合った授業カリキュラムを専攻していくことになる。ミマは、アフリカに行きたいと早い段階で教えてくれた。周りの友人たちも、それぞれに海外への思いが強く、行きたい場所であったり、言語であったりがはっきりしている子が多く、千花は、自分だけがまだ専門地域の選択を決められずにいることを、少し焦り始めていた。海外への興味が無いわけではないが、如何せんまだパスポートもなくどこにも行ったことがないので、どこへ行きたいという明確なものがない。焦っても仕方ないと思いつつ、もう少しいろんなことを知る努力をしようと思い、千花はバイトのない日に地域研究学科の図書館棟へ向かった。地域ごとの本棚の前を行き来し、目についた写真集を手にとって開いてみる。パラパラとページをめくり、目で追っては、棚に戻し、別の地域の写真集を開いてみる。先程の本とは全く違う。土の色も、空の色も、花の色も。あ、この花、お店にあるやつだ。原産はココだったんだ…と気がつけば、花に目が行ってしまう自分に気づき、フッと笑った。単なるバイトなのに変な話しだが、職業病だなと千花は思った。
「千花ちゃん」
突然後ろから肩を叩きながら小声で話しかけられ、千花はビクンとなった。振り返ると、類先輩がいた。
「類先輩…。びっくりしました。こんにちは。」
「こんにちは、何探してるの?」
「特に何をって言うわけじゃないんですけど…。」
「そうなの?」
「はい。類先輩は?何かお探しですか?」
「あぁ、レポートの参考になりそうなものをと思ってこっちまできたら、パラパラ写真集をめくっては嬉しそうな顔してる千花ちゃんが見えたから、声かけてみた。」
「え?私嬉しそうな顔なんてしてました?」
「うん。何見てるんだろう?って気になるくらいにはね。千花ちゃん、時間あるなら上でコーヒーでもどう?」
「え?」
「ここで話してると怒られそうだしさ。カフェになってるの知ってる?」
類先輩は周りを確認して、階段を指した。千花は図書館の上にカフェがあることは聞いたことはあったが、まだ行ったことはなかった。
「まだ行ったことないです。」
「じゃぁ行こう。その写真集借りる?」
「いえ、大丈夫です。」
千花が元あった場所へ本を戻すと、類先輩は少し前を歩いて、こっちだよ、と手招きをした。千花はまさかまた類先輩と二人で話す機会があるとは思っていなかったので、この展開に正直驚きながら、類先輩について階段をあがった。図書館の3階は本当にカフェになっていた。本を読みながらコーヒーを飲んだり、まったりおしゃべりをしている人がたくさんいて、千花は驚いた。カウンターで類先輩はコーヒーを注文し、千花も同じコーヒーを注文した。カップを二つお盆に載せると、類先輩は、
「あっちに座ろう」
と奥の窓際のテーブルへ向かった。千花は頷いて、類先輩の後を追った。二人がけのテーブルに座ると、類先輩が言った。
「久しぶりだね、千花ちゃん、元気だった?」
「はい、お陰様で。類先輩も?」
「うん。見ての通り。ミマちゃん入部したから、千花ちゃんも見に来るのかな?と思ってたけど、全然来てくれないから。」
「すみません。一回倒れて迷惑かけてるので、何となく練習の見学は行きづらくって…。ミマが出る試合は応援に行こうと思ってたんですけど。」
「そうなんだ。そんなの気にしなくていいのに。」
「ミマはどうですか?」
「うん、最高だよ。シュート確立も高いし、反射も良いし、運動能力が高いんだろうね。この間試合形式の練習で、対戦したんだけど、予想外に簡単に抜かれちゃって、そっからオレも本気でマンツーでついたよ。その挙句、時間間際にシュートブロックされて、ヤバイと思ったら、いつの間にかミマちゃんがライン外に走ってて、終了間際にスリー決められてさ、ちょっとまじで凹んだ。」
嬉しそうに生き生きした顔で話す類先輩に、千花はイマイチ内容が理解できなかったが、ミマは楽しく上手くやっているんだということがわかった。
「ミマ頑張ってるんですね。」
「うん。千花ちゃんも遠慮せずにまた見においでよ。」
「はい、そうします。」
笑顔でうんうんと頷く類先輩を、千花は眩しいなと思いながら見ていた。
「そういえば、千花ちゃんはなんかサークル入ったの?」
「いえ。結局入っていないんです。イマイチやりたいことが見つからなくて。」
「そうなんだ。33の応援サークルとかは?」
「それも考えたんですけど…。何か生産性のあることがしたいなって思って。」
「応援だけじゃ満足できないってこと?」
「はい。どうせなら自分がやりたいってタイプなんですけど、運動は全くダメなんで…。」
「華道は?」
「覗きに行ったんですけど、流派も違ったし、なんかちょっと雰囲気が暗くて、浮きそうだなって思って…。それに、お花はバイトでいつも触れるんで。」
「それもそうだ。よく考えたら、初めて会った時って千花ちゃんまだ女子高生だったんだね。」
「ですね。」
千花が笑うと、類先輩も笑った。
「あの時、類先輩たちがお店から出た後、奥さんと話してたんです。すごいイケメンだったねって。」
「へーそうなの?」
「私も奥さんもしばらく見惚れちゃってましたからね。」
「そうだったっけ?でも見た目だけ良くても何の得にもならないよ。」
「類先輩は中身も素敵ですよ。」
「どうしてそう思うの?オレはあの時…ミマちゃんに入部してもらうために、千花ちゃんの気持ちを利用した。」
「それは、わかってます。でも、ちゃんと律儀に約束を守って、普通に話してくれました。」
「約束?」
「次の日のランチ、33のメンバーと一緒にだろうと思ってましたけど、わざわざ別の席に移って二人で食べてくれました。」
「あれは…。他の奴らが千花ちゃんと話したがってたからだよ。」
「え?」
「今でもミマちゃんに言ってるよ。千花ちゃんはこないのかって。聞いてない?」
「いえ、特に何も。」
「そうなの?結構しつこくミマちゃんに言ってるから、さすがのフジさんもキレてたけど。」
「私、ダメなんですよね。そういうの…。ミマは知ってるから、多分私に言わないんだと思います。」
「そういうのって?」
「えっと…その…」
「ん?」
「高校の時の話ですけど、告白されて、別に嫌じゃなかったし付き合うことにしたんですけど、私、嫌なことは嫌って言っちゃうんで、なんか思ってたのと全然違ったって振られることが何回かあったんです。イメージと違いすぎるって言われることが多くって、それ以来、知らない人とか、話したことない人とかに、告白されても付き合うのはやめようと思ってて。」
「なるほどね。だから話してみたいだったのか。」
なんで類先輩にこんなこと話してるんだろう…と千花は俯いた。
「なんか、すみません。こんなこと類先輩に話すつもり無かったんですけど…。」
「オレが聞きたかったから聞いただけ。こっちこそごめん。言いにくいこと言わせて。」
「いえ。でも、類先輩はカッコイイからそういうことってきっとよくありますよね?」
「まぁそうだね。全く知らない女の子に熱烈アタックを受けたことは結構あるかな。」
苦笑いをする類先輩を見て、千花は思わず聞いた。
「そういう時ってどうするんですか?」
「彼女がいるからって。」
「あ、そっか。類先輩には彼女がいるからそうやって断れば良いんですね。」
千花が納得すると、類先輩はクスッと笑って言った。
「いなくてもいるって言っちゃう。」
「え?あーそうなんですか。でも、確かに類先輩だと、彼女がいて当然っていうか、嘘だって思われないですよね、きっと。」
「そんなことないよ。嘘だ!そんな女見たことない!って叫ばれたことあるよ。」
笑いながら話す類先輩に、千花は思わず想像して、
「…とんだ修羅場ですね。」
と呟いた。類先輩は大笑いしながら、
「あの子にはホントに参ったよ。軽くストーカーみたいになられちゃってさ。」
「カッコよすぎるのも大変なんですね。」
千花がコーヒーを一口飲むと、向かいから背の高い綺麗な女性が歩いてくるのが見えた。あれ?あの人って…と千花が思っていると、黒髪に赤いリップの女性は千花たちのテーブルまで歩いてきた。千花が驚いていると、女性が言った。
「お話中にごめんなさい。あなた、あのお花屋さんの子よね?」
「あ、はい。先日はありがとうございました。」
「やっぱり。良かったわ。どうしてもあなたに見せたいと思って、もう一度お店に行ったんだけど、あなたお休みだったから。奥さんにあなたのことを聞いたら、ここの学生だって言うから、もしかして学内で会えたらって思っていたのよ。」
早口で興奮気味に話す女性の勢いに押されながら、千花は驚きながら
「そうだったんですか。すみません。バイトなんで毎日はいないんです。」
「そうよね。でも、もう会えたから良いの。あー、でも今持ってないのよ、タブレット。もう、残念。」
女性はさも残念そうな表情を見せながら、肩からかけた鞄の中からケースを取り出すと、千花に名刺を差し出した。千花が名刺を受け取った。日本語学科 日本文化専攻 准教授 雨宮 麗とある。
「明日のお昼頃、研究室に来てもらえないかしら?どうしてもあなたに見せたいものがあるの。彼氏と一緒にでも…って、類!?」
突然大きな声を出した女性に千花が驚くと、呆れた顔をした類先輩が言った。
「ってか、気付くの遅すぎ。人が話してる所に急に割り込んでマシンガンで話し始めるなんて失礼にも程がある。」
辛辣な類先輩の発言に千花が目を丸くすると、
「ごめんなさい。まさか類の新しい彼女だとは知らなくって…。」
急にトーンが下がった雨宮准教授に、千花は思わず突っ込んだ。
「いや、あの、私は彼女じゃないですから。」
「そうだよ。勝手に人のこと決めつけんなよ。ったく。」
ますます呆れ顔の類先輩は、今まで見たことがない表情だった。この人とはどういう関係なんだろう?と思いながらも、すごく嫌そうな類先輩と、先程までとは全く様子が変わって少しオロオロした表情で、千花に苦笑いをする雨宮准教授を見比べた。やっぱり似ている。兄弟か何かなんだろうか?と千花が考えていると、雨宮准教授は時計を見て慌てて言った。
「いけない。もうこんな時間だわ。急がないと。突然ごめんなさいね。類、とにかく明日のお昼に彼女を私の研究室まで案内してちょうだい。頼んだわよ。」
それだけ言うと、雨宮准教授は本当に慌てた様子で走り去っていった。唖然として後ろ姿を見つめる千花に、類先輩が呟いた。
「ったくなんなんだよ、あれ。」
「なんか、すみません。お知り合いでしたか?」
「お知り合いっていうか…言いたくないけど身内。」
「やっぱりそうですか。」
「やっぱりって?」
「顔のパーツが似てるなと思って。」
「…最悪。」
「すみません。」
「ごめん、千花ちゃんに言ったんじゃないんだ。」
気まずそうな様子の類先輩に、千花は笑って答えた。
「わかってます。」
「あの人花屋に行ったの?」
「はい。先日あの卒業式の時と同じミニブーケの形を気に入って下さって、同じ形でもう少し大きめで花の指定をしたアレンジを頼まれて、私が作らせてもらったんです。」
「そうだったんだ…。それが気に入られちゃったってことか。」
「そうなんですかね?」
「明日のお昼、大丈夫?」
「あ、はい。場所だけ教えて頂けたら一人で行きます。」
「え?良いよ。オレも行くよ。千花ちゃんにあることないこと吹き込まれるの嫌だし。」
「良いんですか?」
「もちろん。B棟のサロン前でいい?」
「わかりました。なんか、すみません、類先輩まで巻き込んでしまって。」
「気にしないで。あの人の勝手なんだから。」
類先輩は笑った。千花は結局どういう関係なのか突っ込んで聞くのは辞めた。いずれにせよ、明日には分かることだろうと千花は思った。

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