光りの中
 紀子は会社を出ると、急いで近くのコンビニに向かった。

 そこには公衆電話がある。

 息を切らしながら受話器を取り、財布からありったけの十円玉を出した。

 紙片に書かれていた番号を間違えないように慎重にプッシュした。

 呼び出し音が続く。

 もどかしい……

 じりじりとする紀子の気持ちをあざけ笑うかのように、相手はなかなか出てくれない。


(はい、お待たせしましました雅です)


 若い女性の声が紀子の身を一瞬硬くさせた。


「あのお、そちらに勝又さんという方はいらっしゃいますか?」

(お客様の勝又様ですね、少々お待ち下さい)


 保留のオルゴール音が鳴った。

 数秒程して、


(勝又ですが)


 顔に血が一気に集まって来たような気持ちになった。


「あのぉ、浅岡です」


(紀子ちゃんか、電話してくれてありがとう。今、この店の場所を教えるから。歩くとちょっと遠いけど、曽根崎の方だから道は判りやすいと思う。いいかい……)


 勝又が道を説明するのを一言も聞き漏らすまいとした。

『雅』という店の名前をしっかりと頭に焼き付け、紀子は教えられた通りの道を足早に歩いた。

 会社から十分ばかりの場所にその店は在った。

 古いビルの地下にその店はあり、余程気を付けて見ないと判らない位、目立たないスナックだった。

 地下には『雅』の他にも何軒か飲み屋が入っていた。

 黒い扉を恐る恐る開ける。


「いらっしゃいませぇ」


 カウンターから女性の声で迎えられた。

 中を覗くと、カウンターの一番端に勝又が一人で座っていた。


「よおっ」


 振り向いた勝又の顔を思わずまじまじと見つめてしまった。

 胸の動悸がずっと続いている。


 何だろう。

 こんな気持ちは初めてだ。


「どうした、中に入れば」


 紀子はまるで夢遊病者のようにフラフラと勝又の隣に座った。



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