次期国王は独占欲を我慢できない
「ありがとう! アリス。ベアトリス王女殿下もとてもお喜びだったわ!」

 アリスが作った布薔薇をつけたドレスを持ち、王女殿下の元に、緊張の面持ちで向かったポリーヌだったが、結果は上々だったらしい。部屋を出た時とは比べ物にならない程の、満面の笑みで戻ってきた。それを聞いてアリスもホッとする。
 元々、フォンタニエ男爵領はひどく貧しくもないが、それほど裕福もいうわけでもない。
 更に爵位から離れた隠居夫婦の生活ともなると、節約とは切っても切り離せないものだった。
 布薔薇は、昔社交界で着ていたドレスなどを解いてリメイクした際、出た端切れが勿体無いと、メイドが編み出したものであった。
 それを穴隠しや傷、汚れ隠しのために技術を習得したのだ。結果、すぐに母にはバレてしまったが、それもまたリメイク術だと最終的には許してくれた。だが、まさかこんなところで活躍するとは思わなかった。

「でも、あなたの名前を出さなくて本当に良かったの?」
「いいんです」

 元々の用途が用途だ。それを王族の、ましてや社交界の流行最先端と言われているベアトリス王女殿下のドレスに使ったと知れたら、母に怒られてしまう。
 いずれは母にもバレるかもしれないが、早いうちから積極的に知らせることでもない。そんな考えもあって、アリスは布薔薇の案を出したのが自分であることは、伏せてほしいと頼んだのだ。

「でも、誰が編み出したものなのか、とても知りたがっていらっしゃったわよ?」
「えぇー……?」
「まあまあ。せっかくですから、今度アリスから作り方を教えてもらいましょう? 形を変えたり素材を変えれば、もっと色々な装飾品が作れるようになるかもしれませんわ」

 アリスの戸惑いに気づいたのか、ジゼルが助け舟を出してくれた。
 実は布薔薇の作り方を基準に、ドレープをきつくしたり、緩める箇所を変えたり、生地の幅を変えたりと、色々な応用が効くものだ。
 アリスが休憩の時にも、ちまちまと作っていたことをジゼルは見ていたのだろう。
 アリスも皆に作り方を教える約束をして、それぞれが仕事に戻った。
 装飾といえば、オルガから招待されたフォンタニエ家のお茶会の準備もしなくてはならない。
 社交界でお誘いもあるだろうと、両親が持たせてくれたドレスは何着かあるが、どれもとてもシンプルなものだ。お金を惜しんだというよりは、アリスのことだから自分であれこれアレンジするだろうと見越してのことだろう。
 職場からもらった端切れやレースは、どれも上質なものだ。アリスは頭の中で色々と考えて、淡いオレンジのドレスを飾りつけることにした。
 考えてみたら、社交界に出られる年齢になってから、初めての華やかな場所だ。
 元男爵の娘という微妙な立場から、両親に伴われての王族への挨拶には行っていないのだ。そう考えると、少し緊張する。義姉が主催だし、男爵家の町屋敷(タウンハウス)も行ったことがある。だが、初めて会う貴族のご夫人やご令嬢もいるだろう。

「私、大丈夫かしら……」


 * * *


 あーでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、なんとかドレスを仕上げた。
 結局、淡いオレンジ色のシンプルな七分袖のドレスの袖に裾が広がるように長めのレースをつけ、二段になったスカートの上段の裾にぐるりと白い生地で作った布薔薇をあしらった。
 しょっちゅうお茶会や夜会に繰り出しているマリアにも意見を聞いての結果だ。
 ドレスを着て、久しぶりにメイクをすると、自然と背中がシャンとする。
 アクセサリーは元々持っていなかったので、お守りの指輪をそのまま下げておくことにした。少し開いた胸元が寂しかったが、鏡で見てみると良いアクセントになっていた。
 男爵家までは、男爵家の馬車が迎えに来てくれるとのことで、リュカと一緒にそれに乗って向かう。約束の時間にはまだあったが、待たせては悪い。早めに部屋を出ることにした。
 久しぶりのコルセットが少し苦しい。踵の高い靴もなかなか慣れないもので、手袋をした手でそっとスカートをつまむと、ゆっくりと歩いた。
 宿舎から出て少し行ったところに、馬車が入れる広く整備された路(みち)がある。近くには屋根があるだけの風通しの良い東屋もあったので、アリスはそこでリュカを待つことにした。
 ただでさえ天使のような美貌で人気者のリュカだ。いくら遠縁と説明しても、正装のリュカと馬車に乗って出かけるとなると、なるべく人目にはつきたくない。そんな意味でも、アリスにとってこの東屋はありがたかった。
 壁はないが、装飾のついた見事な曲線の大きな柱が五本もある。柱の陰にいたら、目立たないだろう。その考えは当たったようで、やって来たリュカはアリスを探してキョロキョロと辺りを見回している。

「リュカ、こっちよ」
「アリス!わぁ、アリス、とっても綺麗だ!」
「えー、リュカが言うと嫌味に聞こえるわ。でも、ありがと」
「なに言ってるんだよ!本当に綺麗だよ。それに、ホラ」

 隊のカラーである青が所々に入った白い軍服は、眩しいほどにリュカに似合っている。
 胸に下げているメダルは、中隊長のものと、国境でいち早く商団を見つけ、密入国を防いだことで授かったそうだ。だが、そんなメダルよりも大切そうに首元から出したのは、華奢な女物の指輪だった。
 アリスは思わず自分の胸元に手を当てる。

「あら?私のとお揃い?」
「そうだよ。僕のは女物だけどね。お祖母様が送ってくれたんだ」

 考えてみれば、母が愛する孫にもお守りを贈りたいと考えるのは当然だった。
 小さな女物の指輪は、かなり顔を寄せて見てみないとわからないが、確かに『私の愛があなたを守りますように』と、アリスの物と同じ文章が彫られていた。
 アリスとリュカは顔を寄せ合い、「お揃いだね」と、笑いあった。

 東屋は、アリスが考えていた通り、柱に隠れて人目につきづらい。だが、そこに人がいることに気づいた人間の目には、大きな柱の影で顔を寄せ合い微笑む姿が、まるで秘め事のように映る。

「……アリス」

 小さく呟いた言葉が、側近のフレデリクの耳にも届いていた。
 ラウルの目からは、表情がスコンと抜けている。その目には、たった今東屋から馬車に乗りこもうとするふたりの姿が映っている。ふたりはこちらにまったく気づく様子がない。微笑み会い、差し伸べられた手を躊躇することなく、自然と乗せる。そこには自然な空気感があり、何気ない仕草や表情に、信頼や愛情が見て取れた。
 ラウルの中で、リュカの言葉と、あの時見せた表情が駆け巡る。

『大事なお守りです。僕の大切な人とお揃いなんですよ。“私の愛があなたを守りますように”と彫られています』

 ドレスで着飾ってはいたものの、装飾品のないシンプルな装いの中で、アリスが唯一つけていたのは、リュカとお揃いの男物の指輪だった。

『僕は、彼女が一番大切です。正直、彼女が幸せに笑っていられれば、その他のことはどうでもいい』

 リュカが愛おしそうに見下ろす視線の先には、ラウルが見たことのない、アリスの穏やかな微笑みがあった。
 胸が締め付けられそうだった。

「フレデリク……」
「はい」
「アリス・フォンタニエに関して、調べてくれ」
「……最初、あんなに嫌がっていらしたのに、ですか?」

 ラウルが今年勤め人として王宮に入った、ひとりのメイドに興味を示していることは知っていた。
 朝早く、まだ騎士たちの訓練が始まっていない時間に、使うため、訓練所に向かっていた時だった。ある日を境に、ラウルが宿舎のひとつの窓を眺めるようになったのだ。窓を全開に開け、寝ぼけ眼の無防備な姿のまま、窓から顔を覗かせる少女がいた。
 ラウルは、それをただいつも嬉しそうに目を細めて見ているだけだった。
 それが破られたのは、窓が閉めきられたままの時だった。
 ラウルは小石を拾うと、その窓に向かって、正確に小石を投げた。ひとつ、ふたつ……。窓が開けられた時のラウルの表情は、フレデリクが見たことのないものだった。
 この時、フレデリクはラウルがこの少女に、ただならぬ関心を抱いているのだと確信したのだ。
 彼女を調べることを申し出たのは、フレデリクだった。だが、それをラウルが拒否したのだ。
 王宮に勤めていることから、最低限、出自は保証されている。それでも次期国王が約束されているラウルの相手ともなれば、話は別だ。

「俺は、彼女にまだ正体を明かしていない。彼女が俺に見せてくれる顔は、聞かせてくれる声は、“とあるひとりの男”に対してのものだ。俺も、同じくありたかった」

 フォンタニエという名字から、リュカ・フォンタニエの血筋であることは想像できた。だが、リュカには女の姉妹はいない。歴史あるフォンタニエ家は、同じ姓を名乗る者が親戚筋にかなりの人数がいる。きっとその中のひとりだろうと考えていた。
 髪色を隠し、名乗ることもせずアリスに会っていたラウルにしてみれば、情報なんてそれで充分だった。
 でも、こんな光景を見せられては、そうはいかない。
 アリスの、リュカに対する態度は、次期男爵に対するものではなく、もっと対等に見えた。
 愛の言葉を刻んだお揃いの指輪に、リュカのエスコートに自然と手を預ける仕草。
 胸がざわついた。

「――既に、調べております」
「……早いな。なぜ彼女のことを知っている」
「それが私の仕事ですから」
「全部、見てたのか」

 うまく撒いてひとりで行動していたつもりだったが、どうもそうではなかったらしい。
 ……となると、あの思わず口づけした時も……。

「全てではありませんよ。殿下も撒くのがお上手になりましたし、私は私で殿下の侍女を適度に抑えておかなくてはなりませんので。……でも、私のもうひとつの仕事着をよく持ち出してらっしゃったことも、把握しております」

 フレデリクは、ラウルの側近であり、密偵だった。
 ラウルがひとりで行動する時によく着ていた黒尽くめの恰好は、フレデリクの物だったのだ。

「……もういい。では、報告を」
「は。アリス・フォンタニエ嬢は、リュカ・フォンタニエにとって、かなり近い存在です。お揃いの指輪は、リュカの祖母である、隠居した元男爵夫人のロクサーヌ様が互いのお守りにと、贈られたそうです。今日ふたりが出かけたのは、リュカの王都帰還を祝って、久しぶりに再会したふたりを主役に招いておこなわれる、お茶会だそうです。ちなみに、ふたりの関係ですが、表向きは遠縁だと説明しているようですが、実はアリス嬢はリュカの――」
「もう、いい」

 最後まで聞けず、ラウルはフレデリクの言葉を遮った。
 ふたりの関係は、リュカの祖母にも認められているということだ。
 離れている間も互いを忘れないようにと、指輪まで贈って――。そんなふたりが、久しぶりに再会した。そして揃って、男爵家主催のお茶会に主役として出席するということは……アリスは、フォンタニエ男爵家が認めた婚約者ということだ。遠縁ということであれば、婚姻は認められる。
 ラウルの心は、それ以上の報告を拒否した。

「最後までお聞きにならないのですか」
「もういいんだ」
「ですが――」
「もういい!」

 空から、ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきた。それを合図に、ラウルは無言で踵を返すと、王宮に向かって歩きだした。少し遅れて、フレデリクも続く。
 ラウルがなにか勘違いしているのを、フレデリクは感じていたが、主が「もういい」と言う以上、発言を続けるつもりはない。
 勿論、フレデリクは「アリス嬢はリュカの叔母だ」と報告するつもりだった。そこにいくまでに、多少まぎらわしい言い方をしてしまったことは否めないが。
 これもまた仕事だ。仕方がない。
 運命の恋は、多少の困難が必要だ、とローラン国王陛下からのお言葉だ。
 フレデリクは、ラウルの側近であり密偵ではあるが、彼の雇い主はローランである。逆らうことなどはできない。

(ですが、私はラウル殿下の恋を応援しておりますよ――!)

 フレデリクは目の前を歩く悲壮感満載の背中に向かって、心の中でエールを送った。
 
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