次期国王は独占欲を我慢できない
今、なんと言っただろう?
アリスは首を傾げた。
今、この高貴な方の口から「男を落としたい」とかなんとか、そんな言葉が出たような気がするが、気のせいだろうか。
「わたくしね、こんな見た目でしょう。そこそこ頑張ってきたのだから、見るに耐えないという程ではないということは、わかっているの」
アリスは否定しようとしたが、ベアトリスはそれを手で制した。
まあ聞け、ということなのだろう。おとなしく聞くことにした。
「自分が恵まれていることも、そんなに悪くないことも、わかっているわ。ただ、お兄様がアレでしょう……。幼い頃から較べられたし、心無い声も聞こえたりしたわ。でも、わたくしはお父様もお母様も、そして女のわたくしが嫉妬するくらい綺麗なお兄様のことも、大好きなのよ」
ローラン国王陛下は、銀色に輝く髪に凛々しく男らしい風貌だ。齢四十三となり、髪に白いものが混ざり始め、顔にもシワが刻まれてきた。だが、それが以前はなかった渋みや重みとなり、国民からも絶大な人気がある。そんな彼が一目惚れし、強引なアプローチで口説き落としたというのが、メアリ妃殿下だ。切れ長の美しい瞳に、すんなりと形の良い高い鼻、少し薄めの唇は少々冷たささえ感じる、彫刻のような美女だ。温かみのある栗色の髪が、氷の美貌に柔らかさを加え、その絶妙なバランスに、ローランはひと目で惹きつけられたという。
つまり、ラウルはメアリの彫刻のような美貌と、ローランの輝く銀色の髪を受け継いだのだ。そして、神様のいたずらか、ベアトリスは父譲りのくっきりとした顔立ちと、母譲りの栗色の髪を持って生まれたのである。
物心がつく頃にはもう既に、自分と兄との大きな違いに気づき、悲観した。
「年頃になっても同年代の子と遊ぶのが辛かったわ。わたくしとお兄様を見較べるあの視線、忘れられないわ」
その気持ちは、アリスにも理解できた。
可愛い可愛いと育てられ、それを信じてきたたアリスだったが、リュカと会って、現実の厳しさを知ったのだ。あれはなかなか辛い経験だった。だが、ベアトリスの場合はアリスの比ではないはずだ。もっと沢山の視線に晒され、較べられてきたのだろう。
「幼いわたくしには、なかなか酷なことだったわ。でもね、マルセルは言ってくれたのよ。『誰がなんと言おうと、ベアトリスは俺の可愛い姫様だ』って」
ベアトリスの目が柔らかな弧を描く。その微笑みは、同性のアリスがドキリとするほど、美しかった。
「嬉しかったわ。マルセルはお父様やお母様と一緒で、わたくし達を較べようとはしなかったから。個々ときちんと向き合ってくれたから」
マルセルが王族の方々とそんなに親しくしていたとは知らなかった。
前は騎馬隊長をしていたと聞いたが、まさかそんな過去があったとは。
「マルセルは、お父様にとっても兄のような人なのよ。聞いた話なのだけれど、お父さまの遠征に同行した際に受けた奇襲で、お父様を助けて以来の仲らしいわ。あの飾らない性格もあって、家族ぐるみのお付き合いだったの。お兄様は、今もよく訪ねているはずよ」
その言葉にアリスは驚いた。
厩舎も含め、マルセルのいるところにはよく行ったが、ラウル殿下に会ったことなど、ない。騎士訓練所で働いていたころは、洗濯物を持ってほぼ毎日通っていたにも関わらず、だ。
別に会いたいと思ったことはないが、これまで遭遇しなかったとは、よほどタイミングが良かったのだろうか。
「でもね、わたくしは……マルセルに、『もう来るんじゃない』と言われてしまったの」
ベアトリスの視線が落ち、影が差す。
「それは……一体、なぜなのですか?」
「わたくしが社交界デビューしたからよ。これからは、特別な誰か、ひとりのための姫様になるんだって、そう言ってわたくしを突き放したの。――ひどいでしょう?今更だわ。わたくしは、マルセルだけの姫でいるって決めていたのに」
マルセルは騎馬隊長を引退し、ラウルとベアトリスが一人前の大人と言える年齢になったことで、王族との親しい付き合いから距離を置いた。
自分がもう騎士として動けないことも、大きかった。
「元々が、鬼の隊長として有名だったということと、お父様と親しかったこともあったからなのか、マルセルが引退してからも近付こうとする人はいなかったわ。けれど、マルセル自身、それでいいと思っていたところがあったのではないかしら。しがらみとか、そういうの苦手だったから。――そんな時に、あなたが現れたのよ」
最初は、馬が見たいだけだった。
厩舎近くに行くことがあると、ついつい嬉しくて近くをうろついた。アリスが親しんだ農耕馬や馬車を引く馬ではなく、騎馬隊の馬――戦う馬だ。うっかり近寄って興奮させてはいけない。だから、なんとか見えないものかとあちこちから厩舎の中を見ようとしていた。
アリスがマルセルに会ったのは、そんな時だった。
最初は、マルセルも声をかけてくることはなかった。それどころか、迷惑そうな表情をしていたことを覚えている。だが、それにもめげずに厩舎にやって来ると、「君は一体、なんなんだ」と、半ばあきれ顔で声をかけてきたのだ。
それからは、あっという間に仲良くなった。マリア達はマルセルを怖がっていたが、アリスにしてみれば、馬好き仲間だった。
確かにマルセルが、アリスや黒尽くめの青年以外と、親しげに話しているところは見たことがない。だが、アリスはそんなに深くマルセルを知らない。ベアトリスがいくらマルセルに好意を抱いていても、アリスにできることはなさそうだった。それに、アリスがしゃしゃり出る事も、なんだか違う気がした。
「恐れながら、ベアトリス様。私がお手伝いできることがあるとは思えません。それに……私が関わる事に、意味があるとも思えません」
「――どういうことかしら?」
ベアトリスがじっとアリスを見据え、静かに尋ねる。
お気を悪くさせてしまったかもしれない。もしかしたら、王宮での仕事を失ってしまうかもしれない。それでも、アリス自身も想いを寄せる人がいるから、わかる。
「私がお手伝いしたとしても、それはベアトリス様のお心をきちんとお伝えできるとは思えません。そこに私という第三者が入り込んでしまっては、純粋なものも歪んでしまう気がするのです」
「……協力できない、ということ?」
「申し訳ございません」
アリスが深々とお辞儀をすると、ベアトリスが、フーッと長く息を吐いた。
(ああ、終わった――)
そうアリスが諦め、クビを覚悟してギュッと目を瞑った時、ベアトリスは意外な反応をした。
クスクス、と軽やかな笑い声がアリスの耳に入ってきたのだ。
驚いて顔を上げると、ベアトリスはなんとも楽しそうに笑っている。
「あ、あの……?」
「あら、ごめんなさい。ねえ、あなた、面白いのね。でも、そんなことは気になさらなくて大丈夫よ。わたくし、あなたに協力してもらいたいなんて、思っていないから」
「え?」
「マルセルが心を開いたあなたを、知りたかったのよ。それにはどうしたらいいのかしらって考えていたところに、あのドレスをアレンジしたのが他でもないあなただって知ったの。これを逃す手はないわって思ってね。ヴァレールは渋っていたけれど、そんなの知ったことではないし」
「は、はぁ……」
なんだろう、この流れは……。てっきりクビか、少なくとも侍女の話はなかったことになるのだと思っていたのだが……。アリスは予想外のことに口をぽかんと開けてしまった。
「わたくし、あなたと同意見よ。誰の口も介さずに、わたくしの言葉で伝えたいわ。この想いを言葉にできるのは、わたくし一人だから」
「はい!」
「それでも、やっぱり不安なことはあるの。ねえ、アリス。わたくしの話し相手になってくださる?」
「勿論でございます!」
アリスは力強く頷いた。
そのきっぱりとした意思の強い言葉に、アリスも嬉しくなる。
この方にずっとお仕えしたい、と心から思えた。
ベアトリスがホッとしたように息を吐く。
「少し、不安だったわ。これはずっと、秘密にしていたの。誰も知らないことなのよ。でも、想いが溢れてしまいそうで。誰かと話をしたかったの。それには、どうしてもあなたが良かったのよ」
「私がどんな人間なのか、わからないのに……ですか?」
「どんな容姿をしているかは、確かに分からなかったわ。でもそんなことはどうでもいいのよ。マルセルが心を許した相手――その人を私が嫌いになるわけがないわ。でもね、こんなにすんなり頷いてくれる自信はなかったのよ」
「では、なにが不安だったのですか?」
「あなたの人柄は、マルセルと親しいということで確信していたけれど、わたくしがマルセルに恋心を抱いていることをどう思うかは、別でしょう」
確かにそうだ。
正直、意外だとは思った。だがそれはアリスが、マルセルと王族の繋がりを知らなかったからだ。
あの飾らない大らかなマルセルが、鬼の騎馬隊長だったことも驚きだが、更に王族と親しかったとは。
「こういう立場だと、お父様くらいの年齢や、それ以上年の離れた男性と結婚するという話はよく聞くわ。所謂、政略結婚ね。お家同士の約束や、金銭の援助目的や……理由は色々あるわ。わたくしの周りにもいたわ。それを屈辱だと、悲劇だと揶揄する声も出るの。マルセルは今年四十五よ。わたくしよりニ十九歳年上。そして、名誉騎士の称号を持つ、一代限りだけれど準貴族になるわ。つまり、わたくしの恋は世間が見れば、とても滑稽なものになるでしょう」
「そんな! そんなことはありません! 相手がどんな地位とか、何歳とか、そんなものは、目に見える形でしかありません!」
思わず声に力が入る。
そんな悲しい話は嫌だ。
確かに、アリスも政略結婚がよくある話であることは知っている。うまくいかない例も多いことだって、知っている。でも、その中にも愛ある家庭を築いている人たちがいることも知っている。アリスの両親も、政略結婚だった。だが、今でも喧嘩をするところは見たことがないし、なによりアリスを含め五人の子供を授かって愛情いっぱい育てた。
世の中には、どうにもならないこともあるだろう。けれども、どうにかなることだって、あるはずだ。
ベアトリスの恋は確かに厳しいかもしれない。けれども、諦めて欲しくなかった。大好きなマルセルも、そして会ってすぐに大好きになったベアトリスにも、幸せになって欲しかった。
身分なんて、純粋な想いの前では、関係ないのだから――。
アリスは首を傾げた。
今、この高貴な方の口から「男を落としたい」とかなんとか、そんな言葉が出たような気がするが、気のせいだろうか。
「わたくしね、こんな見た目でしょう。そこそこ頑張ってきたのだから、見るに耐えないという程ではないということは、わかっているの」
アリスは否定しようとしたが、ベアトリスはそれを手で制した。
まあ聞け、ということなのだろう。おとなしく聞くことにした。
「自分が恵まれていることも、そんなに悪くないことも、わかっているわ。ただ、お兄様がアレでしょう……。幼い頃から較べられたし、心無い声も聞こえたりしたわ。でも、わたくしはお父様もお母様も、そして女のわたくしが嫉妬するくらい綺麗なお兄様のことも、大好きなのよ」
ローラン国王陛下は、銀色に輝く髪に凛々しく男らしい風貌だ。齢四十三となり、髪に白いものが混ざり始め、顔にもシワが刻まれてきた。だが、それが以前はなかった渋みや重みとなり、国民からも絶大な人気がある。そんな彼が一目惚れし、強引なアプローチで口説き落としたというのが、メアリ妃殿下だ。切れ長の美しい瞳に、すんなりと形の良い高い鼻、少し薄めの唇は少々冷たささえ感じる、彫刻のような美女だ。温かみのある栗色の髪が、氷の美貌に柔らかさを加え、その絶妙なバランスに、ローランはひと目で惹きつけられたという。
つまり、ラウルはメアリの彫刻のような美貌と、ローランの輝く銀色の髪を受け継いだのだ。そして、神様のいたずらか、ベアトリスは父譲りのくっきりとした顔立ちと、母譲りの栗色の髪を持って生まれたのである。
物心がつく頃にはもう既に、自分と兄との大きな違いに気づき、悲観した。
「年頃になっても同年代の子と遊ぶのが辛かったわ。わたくしとお兄様を見較べるあの視線、忘れられないわ」
その気持ちは、アリスにも理解できた。
可愛い可愛いと育てられ、それを信じてきたたアリスだったが、リュカと会って、現実の厳しさを知ったのだ。あれはなかなか辛い経験だった。だが、ベアトリスの場合はアリスの比ではないはずだ。もっと沢山の視線に晒され、較べられてきたのだろう。
「幼いわたくしには、なかなか酷なことだったわ。でもね、マルセルは言ってくれたのよ。『誰がなんと言おうと、ベアトリスは俺の可愛い姫様だ』って」
ベアトリスの目が柔らかな弧を描く。その微笑みは、同性のアリスがドキリとするほど、美しかった。
「嬉しかったわ。マルセルはお父様やお母様と一緒で、わたくし達を較べようとはしなかったから。個々ときちんと向き合ってくれたから」
マルセルが王族の方々とそんなに親しくしていたとは知らなかった。
前は騎馬隊長をしていたと聞いたが、まさかそんな過去があったとは。
「マルセルは、お父様にとっても兄のような人なのよ。聞いた話なのだけれど、お父さまの遠征に同行した際に受けた奇襲で、お父様を助けて以来の仲らしいわ。あの飾らない性格もあって、家族ぐるみのお付き合いだったの。お兄様は、今もよく訪ねているはずよ」
その言葉にアリスは驚いた。
厩舎も含め、マルセルのいるところにはよく行ったが、ラウル殿下に会ったことなど、ない。騎士訓練所で働いていたころは、洗濯物を持ってほぼ毎日通っていたにも関わらず、だ。
別に会いたいと思ったことはないが、これまで遭遇しなかったとは、よほどタイミングが良かったのだろうか。
「でもね、わたくしは……マルセルに、『もう来るんじゃない』と言われてしまったの」
ベアトリスの視線が落ち、影が差す。
「それは……一体、なぜなのですか?」
「わたくしが社交界デビューしたからよ。これからは、特別な誰か、ひとりのための姫様になるんだって、そう言ってわたくしを突き放したの。――ひどいでしょう?今更だわ。わたくしは、マルセルだけの姫でいるって決めていたのに」
マルセルは騎馬隊長を引退し、ラウルとベアトリスが一人前の大人と言える年齢になったことで、王族との親しい付き合いから距離を置いた。
自分がもう騎士として動けないことも、大きかった。
「元々が、鬼の隊長として有名だったということと、お父様と親しかったこともあったからなのか、マルセルが引退してからも近付こうとする人はいなかったわ。けれど、マルセル自身、それでいいと思っていたところがあったのではないかしら。しがらみとか、そういうの苦手だったから。――そんな時に、あなたが現れたのよ」
最初は、馬が見たいだけだった。
厩舎近くに行くことがあると、ついつい嬉しくて近くをうろついた。アリスが親しんだ農耕馬や馬車を引く馬ではなく、騎馬隊の馬――戦う馬だ。うっかり近寄って興奮させてはいけない。だから、なんとか見えないものかとあちこちから厩舎の中を見ようとしていた。
アリスがマルセルに会ったのは、そんな時だった。
最初は、マルセルも声をかけてくることはなかった。それどころか、迷惑そうな表情をしていたことを覚えている。だが、それにもめげずに厩舎にやって来ると、「君は一体、なんなんだ」と、半ばあきれ顔で声をかけてきたのだ。
それからは、あっという間に仲良くなった。マリア達はマルセルを怖がっていたが、アリスにしてみれば、馬好き仲間だった。
確かにマルセルが、アリスや黒尽くめの青年以外と、親しげに話しているところは見たことがない。だが、アリスはそんなに深くマルセルを知らない。ベアトリスがいくらマルセルに好意を抱いていても、アリスにできることはなさそうだった。それに、アリスがしゃしゃり出る事も、なんだか違う気がした。
「恐れながら、ベアトリス様。私がお手伝いできることがあるとは思えません。それに……私が関わる事に、意味があるとも思えません」
「――どういうことかしら?」
ベアトリスがじっとアリスを見据え、静かに尋ねる。
お気を悪くさせてしまったかもしれない。もしかしたら、王宮での仕事を失ってしまうかもしれない。それでも、アリス自身も想いを寄せる人がいるから、わかる。
「私がお手伝いしたとしても、それはベアトリス様のお心をきちんとお伝えできるとは思えません。そこに私という第三者が入り込んでしまっては、純粋なものも歪んでしまう気がするのです」
「……協力できない、ということ?」
「申し訳ございません」
アリスが深々とお辞儀をすると、ベアトリスが、フーッと長く息を吐いた。
(ああ、終わった――)
そうアリスが諦め、クビを覚悟してギュッと目を瞑った時、ベアトリスは意外な反応をした。
クスクス、と軽やかな笑い声がアリスの耳に入ってきたのだ。
驚いて顔を上げると、ベアトリスはなんとも楽しそうに笑っている。
「あ、あの……?」
「あら、ごめんなさい。ねえ、あなた、面白いのね。でも、そんなことは気になさらなくて大丈夫よ。わたくし、あなたに協力してもらいたいなんて、思っていないから」
「え?」
「マルセルが心を開いたあなたを、知りたかったのよ。それにはどうしたらいいのかしらって考えていたところに、あのドレスをアレンジしたのが他でもないあなただって知ったの。これを逃す手はないわって思ってね。ヴァレールは渋っていたけれど、そんなの知ったことではないし」
「は、はぁ……」
なんだろう、この流れは……。てっきりクビか、少なくとも侍女の話はなかったことになるのだと思っていたのだが……。アリスは予想外のことに口をぽかんと開けてしまった。
「わたくし、あなたと同意見よ。誰の口も介さずに、わたくしの言葉で伝えたいわ。この想いを言葉にできるのは、わたくし一人だから」
「はい!」
「それでも、やっぱり不安なことはあるの。ねえ、アリス。わたくしの話し相手になってくださる?」
「勿論でございます!」
アリスは力強く頷いた。
そのきっぱりとした意思の強い言葉に、アリスも嬉しくなる。
この方にずっとお仕えしたい、と心から思えた。
ベアトリスがホッとしたように息を吐く。
「少し、不安だったわ。これはずっと、秘密にしていたの。誰も知らないことなのよ。でも、想いが溢れてしまいそうで。誰かと話をしたかったの。それには、どうしてもあなたが良かったのよ」
「私がどんな人間なのか、わからないのに……ですか?」
「どんな容姿をしているかは、確かに分からなかったわ。でもそんなことはどうでもいいのよ。マルセルが心を許した相手――その人を私が嫌いになるわけがないわ。でもね、こんなにすんなり頷いてくれる自信はなかったのよ」
「では、なにが不安だったのですか?」
「あなたの人柄は、マルセルと親しいということで確信していたけれど、わたくしがマルセルに恋心を抱いていることをどう思うかは、別でしょう」
確かにそうだ。
正直、意外だとは思った。だがそれはアリスが、マルセルと王族の繋がりを知らなかったからだ。
あの飾らない大らかなマルセルが、鬼の騎馬隊長だったことも驚きだが、更に王族と親しかったとは。
「こういう立場だと、お父様くらいの年齢や、それ以上年の離れた男性と結婚するという話はよく聞くわ。所謂、政略結婚ね。お家同士の約束や、金銭の援助目的や……理由は色々あるわ。わたくしの周りにもいたわ。それを屈辱だと、悲劇だと揶揄する声も出るの。マルセルは今年四十五よ。わたくしよりニ十九歳年上。そして、名誉騎士の称号を持つ、一代限りだけれど準貴族になるわ。つまり、わたくしの恋は世間が見れば、とても滑稽なものになるでしょう」
「そんな! そんなことはありません! 相手がどんな地位とか、何歳とか、そんなものは、目に見える形でしかありません!」
思わず声に力が入る。
そんな悲しい話は嫌だ。
確かに、アリスも政略結婚がよくある話であることは知っている。うまくいかない例も多いことだって、知っている。でも、その中にも愛ある家庭を築いている人たちがいることも知っている。アリスの両親も、政略結婚だった。だが、今でも喧嘩をするところは見たことがないし、なによりアリスを含め五人の子供を授かって愛情いっぱい育てた。
世の中には、どうにもならないこともあるだろう。けれども、どうにかなることだって、あるはずだ。
ベアトリスの恋は確かに厳しいかもしれない。けれども、諦めて欲しくなかった。大好きなマルセルも、そして会ってすぐに大好きになったベアトリスにも、幸せになって欲しかった。
身分なんて、純粋な想いの前では、関係ないのだから――。