次期国王は独占欲を我慢できない
「アリス、次のお休みはどこかへお出かけ?」
「そうですね~。マルセルさんのところに行こうかと思っています」

 もう、指輪を探す場所がマルセルのところしかないのだ。
 最近は失くしてしまった罪悪感で、母に手紙も書けていない。寂しがっていると、リュカから言われたばかりだった。そのリュカにも指輪のことを聞かれて、焦ってしまった。なんとかごまかしたので、リュカから母にバレることはないと思うが、早く見つけなければ。

(そういえば、なんだかリュカも元気がなかったわね……)

「マルセルのところに?お休みっていつだったかしら?」
「明日ですよ。――ベアトリス様、やっぱりベアトリス様には、瞳と同じ水色のドレスがお似合いです。こちらの、紫とのグラデーションがとても素敵だと思います」

 アリスは今、ベアトリスに呼ばれて彼女の衣裳部屋に来ていた。
 ベアトリスは、社交界デビューが決まった時に、かなりの数ドレスを作っていた。その中には、まだ袖を通していないものもある。その中から、新年の舞踏会用のドレスを探していた。

「そう?でもこれ、少し大人しいデザインではないかしら?新年の舞踏会といえば、一年で一番華やかなものよ?」
「では、こちらに装飾を増やしましょう」
「布薔薇かしら?でもこれは、グラデーションを活かしたデザインになっているから、布薔薇は難しいと思うわ」
「いえ。布薔薇は使いません。実は、私の姉が王都のレース屋におりまして……。サテンリボンにレースを縫い付けたレースリボンという新製品を作っているんです。明日の午後からでも、行ってみようかと思っているんですが……」
「まあ、楽しみだわ!――ということは、マルセルのところには、午前中に行くつもり?」
「はい」
「そう……」

 ベアトリスがなにやら難しい顔をして、考え込んでしまった。
 なにかあったのだろうか……。アリスがそのまま様子を伺っていると、ベアトリスが勢い良く顔を上げた。

「では、わたくしも参りますわ」
「はい?

 では、とは、なんなのだろう。どんな流れでそうなったのだろう。

「ええと……ですが、ベアトリス様。明日は確かダンスの先生がいらっしゃるのでは……」
「午後からにしてもらいますわ」
「一日ダンスのお稽古だったかと……」

 …………。

 無言でニッコリと笑うベアトリスに、それ以上言う勇気はなく、これはもう決定事項なのだな、と思った。


 * * * 


 翌朝は、粉雪がちらつく天気だった。
 普段着のワンピースにマントを羽織ったアリスは、ベアトリスに言われた通り、勤め人用の勝手口にいた。ふうっと吐く息が白い。本格的な冬の始まりだ。

「待たせましたわね」

 急いだ様子でやって来たベアトリスは、いつもよりシンプルなドレスを着て、手には小さなブーケを持っていた。
 外の様子に気づくと、寒そうに厚手のマントを羽織り、フードをかぶる。背の低いベアトリスがフードをかぶると、顔の大部分も隠れて見える。この様子だと、ベアトリスであることに誰も気づかないだろう。
 花はマルセルに持っていくのだろうか?
 アリスはマルセルのところで、花が飾られているのは見たことがない。以前干柿やペースト瓶を持って行った感覚からして、マルセルは食べることが好きなようだ。だから、今日ベアトリスが花を選んだことが意外だった。

「このお天気ではフードも不自然ではないでしょう?」
「そうですね」

 得意気に言ったベアトリスに、アリスも笑顔で頷く。
 挨拶まわり以降、ベアトリスがアリスを呼びつけふたりきりになる機会も増えた。そのため、アリスに対しての風当たりが、また少しキツくなっていた。
 休日にまでもベアトリスと出かけたということがバレては、今度はなにを言われるかわからない。アリスも心の中で雪に感謝した。
 張り切って出かけたものの、徐々にベアトリスの口数が少なくなる。厩舎脇の、マルセルの詰め所に着く頃には、何も話さなくなっていた。
 自分がノックすべきか、任せるべきか迷っていると、ベアトリスがはぁっと大きく息を吐いた。
 あ、そうか。とアリスは突然腑に落ちた。
 大好きな人に、もう来るなと言われた場所なのだ。いくらベアトリスとはいえ、やはり緊張するだろう。

「あの、大丈夫ですか?」
「ええ、ええ。大丈夫よ。でも、まずはあなたが行ってくださる?」
「はい」

 少し強張った顔のベアトリスの一歩前に出ると、アリスはドアを叩いた。

「……誰だ?悪いが今日は――」
「わ、私です。アリスです、マルセルさん」

 ベアトリスも一緒だと気づいたのだろうか?ドア越しに聞こえるマルセルの声も、少し尖っている気がする。
 どうしよう、と躊躇するアリスの前で、ドアが開けられた。

「あれっ?」

 顔を見せたマルセルに、思わず素っ頓狂な声が漏れる。
 それもそのはずだ。
 無精ひげは全て剃られていて、サッパリとしている。もさもさだった髪も、後ろに撫でつけているし、服もいつもの気楽なものではなく、白いシャツにクラバットを巻き、フロックコートをきっちりと着ていた。
 こうして見ると、元騎馬隊長というのも頷ける凛々しさだった。
 思わずマジマジと見つめてしまい、マルセルは「なんだよ」と顔を顰める。

「どうしたんですか?もしかして、お出かけですか?」
「――まぁな。だから今日はちょっと相手にしてらんねえんだ。悪いな」
「あら。わたくし達も一緒に参りますわ」

 アリスの後ろから声がし、マルセルがギョッとした顔でドアを更に開ける。

「……ベアトリス。もう来るなと、言っただろう」
「わたくし、それに了承した覚えはございませんわ」
「でも、ベアトリス様。マルセルさんはお出かけのようですし……」
「行き先は分かっています。さ、参りましょう」

 マルセルは一瞬嫌そうにしたものの、すぐに小さく嘆息し、諦めた。

「わかった。わかったから。ちょっと待ってろ」

 そう言って奥に姿を消すと、無造作に束ねられた花を取って戻って来た。

「あら、マルセル。あまりに不格好だわ。それではカロリーヌがガッカリするのではなくて?」
「無いよりマシだろう」
「あのぅ……。カロリーヌさんというのは一体……」
「ああ、それは聞いていないのね。マルセルの奥様よ」
「えっ!」

 女っ気がないものだから、ずっと独身を貫いてきたのだと思っていた。それが、まさかの妻帯者だとは。――ということは、ベアトリスの恋はどうなるのだろう?いくら想っていても、道ならぬ恋というのは、応援することはできない。

「今日、命日なんだよ」
「えっ――」

 だから、ベアトリスは花を持ってきたのだ。マルセルが持っている花も種類も長さもバラバラだが、その不格好さが、彼が自ら花を摘み取ったことを示している。
 アリスは無言のまま、ふたりの後を歩いた。
 敷地の端には、小高い丘がある。そこにはいくつかの石碑が置かれていた。

「引き取る家がなくなった勤め人や、遺族が勤め人で王宮の外に家を持たない人の墓よ」

 マルセルは一番端の石碑に花を置くと、そのままじっと石碑を見ていた。

「――おかしなもんでな、俺はカロリーヌの瞳の色を覚えていないんだ。俺たちには子供がいない。まあ、それがどういうことか、わかるだろう」

 この婚姻には、愛はなかった。
 マルセルは淡々と、そう口にした。

「別に、女に興味がなかったわけじゃねえ。そりゃ健康な男子で、職場も男だらけともなれば、溜まるモンはある。だが、そんなもんは娼館に行きゃどうにでもなる話だ」

 しょうかん……召還? 商館? 将官? と考えを巡らし、やっと娼館のことだと気づいたアリスは、マルセルの未知の部分を知ってしまい、動揺した。だが、視線を向けた先で、ベアトリスは落ち着いてじっとマルセルを見ている。

「騎馬隊長候補ってところで、そんな外で遊ばれちゃ敵わんってことで、女を紹介された。それがカロリーヌだ。兄弟が多い貴族の末っ子でな、相手もまた仕方なく俺と結婚したような感じだった。結婚して、騎馬隊長になったら、当然家を空けることが多い。遠征に次ぐ遠征。そんな時、カロリーヌが死んだと報せが入った。俺は、なんとも思わなかった」

 置いた花を、雪が覆っていく。
 マルセルは、それをただじっと見ていた。

「どんな顔だったかな。どういう風に俺を呼んだだろう。ちゃんと話したことなんて、どれくらいあっただろうか。記憶を掘り起こさねえと、思い出せなかった。肌を合わせたことも、ほんの数回だ。けどな、机の引き出しに、俺宛ての手紙があってな。――俺を愛してたんだと。せめて言ってくれりゃ、なにか変わったかな。まあ、今となってはどうでもいい話だ」
「その手紙は、どうしたの?」
「遺体と一緒に、ここに埋めた。最後まで口にしなかった感情だ。俺が知るには、遅すぎた」
「早くに知っていたら、マルセルはどうしていたかしら」
「離縁しただろうな。俺じゃなく、ちゃんと愛してくれる男を探せって、言っただろう」

 冷たい言葉が、アリスの胸に突き刺さる。

「俺は、時々自分が怖くなる。ひどく冷たい人間だ。上辺だけ愛を誓って、妻はほったらかし。死んでもなんとも思わなかった。愛とか恋とか、そんな感情は知らない。周りからは、鬼の騎馬隊長と言われていたが、本当に鬼なんじゃないかと、自分自身を恐ろしく感じた。そんな時だ。ラウルをかばい、落馬で足をダメにしたのは。正直、ホッとした。鬼にはならずに済んだって、思った」

 そう一気に話すと、ゆっくりと振り向き、ベアトリスを正面から見た。

「俺は、人として大切なことが欠けてる。だから、あまり人と親しくするつもりもない。今更愛だの、そんな感情を知ろうとも思わない。だから、お前は、お前を心から愛する人を探せ」
「そんなことは、わたくしは決めるわ。マルセルは、逃げてるだけじゃない。ちょっと、どいてくださる?」

 顎をツンと上げてそう言うと、ベアトリスはマルセルに向かってズンズンと歩いていく。
 思わず脇に避けたマルセルの前を素通りすると、ベアトリスはドレスが汚れることも厭わずに、しゃがみこんでそっとブーケを置いた。

「カロリーヌさん。この方、わたくしがもらいますわね」
「はあ!?おい、なに言って――」
「アリス。ちょっとマルセルを押さえておいてくださる?」
「えっ?あ、はいい!」

 押さえろと言っても、圧倒的な体格差ではどうにもできない。とにかく、なんとかしなければ……。アリスは後ろからめいっぱい抱き付いた。

「あっ、コラ。なにをするんだ!アリス!」

 このまま腕を振り回されたら、確実に顔や頭をやられるが、とにかく必死だった。

「ごめんなさい~!でも、ベアトリス様のお話も聞いてください!一方的に突き放すなんて、ダメです!それが誰であっても、ダメです!ちゃんと向き合ってください!」

 ぎゅううううっと抱き付いた腕に力を入れると、マルセルのこわばりが解けた。とりあえず、抵抗することは止めてくれたようだ。

「わかった。わかったから」
「ありがとう、アリス。――さて、マルセル。わたくし、本気ですから。あなたは子供相手に適当になだめただけなんでしょうけど、そんなの言い訳にもならないわ。だって、わたくしは、あなたがわたくしを大事な姫だと言ってくれれば、他の人間の視線なんてどうでもよくなったの。『勝手なことを言っていればいいわ。だって、わたくしにはマルセルがいるんだもの』って、そう思えたのよ。でも、人の心に強制なんてできないわ。だから、どうしても無理なら諦める。でもね、振り向かせる努力くらいはさせて頂戴。それもダメ?」

 黙って聞いていたマルセルが、はああっと大きな息を吐いた。

「俺は、本当に愛なんて知らないんだ。それを思い知るだけだと思う。だが、それでも構わないと言うなら、勝手にしろとしか――」

 グッとマルセルの身体が前のめりになり、抱き付いていたアリスも持って行かれそうになった。脇に転げそうになり、なんとか踏ん張ると、目の前の光景に目を丸くした。
 不意を突かれたマルセルがクラバットをベアトリスに引っ張られ、つんのめりそうになったところで、唇が重ねられたのだ。

「ああああああ……」

 声にならない声を上げてしまい、アリスは慌てて視線を外す。
 見てはいけない!見ちゃったけど!と、頭を振って、マルセルに回した腕に再び力を入れた。

「もういいわよ、アリス」
「は、はい」

 パッと手を離すが、マルセルが動く様子はない。
 覗き込んでみると、口をぽかんと開け、なんとも間抜けな顔をしていた。

「行きましょう」
「よ、よろしいのですか?」

 マルセルを残し、さっさと丘を下るベアトリスを、追う。

「怖かったわ。思い切り拒絶されたらどうしようって。すっごく緊張したわ」
「あ、あの……。マルセルさん、まだ突っ立ったままですよ?」
「いい気味よ。少しは衝撃を受けてもらわないと、わたくしだって困るわ!」

 果たして、それは本当に“少し”だったのだろうか?
 まだピクリとも動かないマルセルを振り返りながら、アリスはベアトリスの後を追った。
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